●行者山駆け修行
行者山駆け修行は木曽の御嶽山(標高3068m)で行われました。1泊2日の期間中に2回の滝打たれと2068mへの登山とが行われました。2日目は平均20mの暴風の中を3068mへと進み、無事山頂に立ち、六峰と言われる綾線を踏破しました。
山駆修行は「六根清浄」の掛け声とともに、自分を樹木と化し流れ行く雲と化しゴロゴロとした岩に化して自己を没っしました。そこから多くの感動が生まれ、感動から本来の自己の在り方のヒントを感じ取り、安心に近づきました。 |
行者山駆修行先達 小島 発 |
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感想 |
●剣ヶ峰付近の暴風には参った。耳がちぎれると思ったし、頭が芯まで凍ったと思った。大自然の恐怖とはこういうものだったのかと思った。恐怖と寒さ・・・でもあの時を思い出すと、雑念が全くなかった。あれは無心でも無我でもなく、亡我というべきだったのだろうが一心になる事のすばらしさを確認できた。下界ではどのようにして、心になるか、それをテーマに考えたい。勿論来年も参加させてもらう(24才会社員・男) |
●今年は初めて3068mでご来光を仰いだ。自然のうちに手を合わせ何者かに感謝の思い・・・いいえ呆然としたままだが、だからこその真心を捧げ、拍手を打ち、そして万歳とした。どんなに不幸でも生きてるだけで丸儲けなのだった(55才設計士・女) |
●大峰山の山駆けに比べたら期間的に短いが、内容は濃かった。いろいろと思っていられない。思っていたら従って行けない。自分の世界・自分のこだわりを捨てた2日間だったが、それが快感だった。(35才代議士秘書・男) |
●山小屋の簡素な食事、心細い明かり、その分だけ強くならねばならぬ心。下界での当たり前のことが、どれほどまやかしであったか。なによりどんな時でも一人の力しか当てにならないことを忘れていた。一人よがりとは違うが、夫や親や同僚などの周りの手助けを当たり前にしてきた自分が見えた。恥ずかしかった(28才自営・女) |
●1泊2日の日程ではどうかと思っていたが、修験・山伏の形式主義の不必要なものを省いて、心の鍛錬だけに焦点を絞っていて、すごい内容だった。(62才無職・男) |
●足が弱くても大丈夫かと思いつつも全部踏破できた。皆様に感謝。ひたむき・ひたすらという言葉を思い知り、大切なことを忘れていたと思った。(65才会社経営・男) |
●山は断念を勧められた。でも滝に打たれていて、目の前が急に明るくなった。心眼を開くとはこういうことを言うのかと思った。自分がやっている書道に役立つと思う。滝だけでも来た甲斐があった。(71才・男) |
●地獄谷は怖かった。風も怖かった。とても寒かった。やり通せてよかった(小学6年・男) |
●景色がこんなにも多彩で停滞しないできれいなものとは思ってなかった。寒さ怖さも不思議と全部ありがたかった。わたしはその景色の一部であったし、それが嬉しくありがたかった(45才会社員・女) |
●今を無心で全力で処理できないならその将来もこないことに気づいた。将来のことを理由にして避けても、それは逃げと言うのだった。今を淡々と全力で生きる・・・大きな財産に巡り合った気がする。この心境を体得しようと思う。勿論来年も参加させてほしい(36才教員・男) |