(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成13年10月号
ニューヨークでテロが起きた。
世界最高層ビルにハイジャックした旅客機を突っ込ませた。筆者は偶然、二回目の旅客機突入の模様を国営放送で見てしまった。
一回目の突入事件の臨時ニュースだった。偶然とはいえ二回目を見て筆者はとっさにテロだと直感した。
 なのに国営放送のアナウンサーと現地の記者は航空機事故として考え、テロのテの字も発言しなかった。平和ボケもよいところだ。
 その挙げ句常套語句として「あってはならない事件が起きた」と言う。しかし事件なんてものはあってはならないから事件なのだ。
あってはならないのは常に建前でしかない。建前を現実と錯覚できるマスコミにいつも情けなさを感じてしまう。
 それはさておき、マスコミはテロが悪いの一言でくくってしまっている。確かに暴力での解決は解決に至らない。今回もアメリカではテロを糾弾し、報復はテロを行った国の軍事施設に限るべきだ、が世論になっているようだ。だがそうだろうか・・・。報復攻撃とテロとどう違うのだろう。
 はっきり言うが筆者はアメリカが大嫌いだ。勿論筆者は右翼でも左翼でもましてやイスラム原理主義者でもない。だが自分の国の都合だけを正義と称して世界にその正義をゴリ押しして通すのがアメリカなのだ。常にアメリカ・アズ・ナンバーワンでなければならないのだ。
実際に大統領は報復を報復とか戦争とか呼ばないために、テロ撲滅の行動と呼び、有力国に電話をかけてその為の支援を既に結んでしまっているのだ。
 …アメリカ庇護下の日本人の筆者ですらアメリカの横暴に腹が立つのだから敵対する国民に至っては憎しみしかあるまい。そして手も足もだせない正義のゴリ押しの情勢下にあっていてはテロも仕方がないのかもしれない。
 アメリカが自由の国と言われるがそれは人種のるつぼだからだ。人種が多すぎて一つの理念とか価値観が確立できない国なのだ。つまり自由なのではなく雑多でしかないのだ。外国旅行をしないで言うのも変だが、筆者から見れば自由の国とは英国とかスイスを言うように思う。雑多だから、結果だけが真実・力こそ真実、がアメリカの姿なのだ。当然アメリカ国民でも結果を得られない人達は差別され偏見にさらされている。一つの国という意識があるからテロが起きないだけで、アメリカには暴力しか手段をもち得ていない下層の人達も多いと思う。
 筆者から見れば、アメリカの傲慢がテロを起こさせているのだ。筆者はテロを是認しないがそれしか方法のない人もいるのだ。
 今回唯一の救いだったのはニューヨーク市長だった。大統領が裏で報復のシナリオを準備し国民もアラブ人への差別を深め、新聞すらも真珠湾以来の屈辱という論調をとり国全体が被害者意識に陥っている中で「我々は我々の差別偏見から学ばねばならない」と個人的ではあるが呼びかけていた。憎まれているアメリカを分かっている人だと思う。我国の総理が、同盟国がテロにあったのだからできる限りの支援を惜しまないと述べているのとは大違いだ。
 暴力に対して力で報復するのは簡単だが、それでは差別や偏見が解消されない。受けた痛みの原因を自分の中に見いだそうとする事は容易でない。でもだからこそ痛みは下されたのだ。差別や偏見はアメリカに限らない。私達は暴力となると無原則に否定するが、暴力をふるう側の痛みを知っていて言っているのだろうか。同じ時代を生きる人は常に対等なのだから自分を是とする理由はない。だが是とするから差別偏見が生まれる。

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