(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成13年12月号
 リストラされた人が増えまた新卒者の未就業も増えていて、過去最大の失業不安と言われている。
 リストラは本末転倒で不思議な現象である。世の中から外れて社会を見ていると、おかしな現象が当然な面をしてまかり通っていると気づく。『会社はリストラして永遠になれるのか』という本末転倒がある。活力こそが社会で、活力は社員しか作り出せないのに、その社員を物品のように節約しクビにして不思議に思わない・・・。
 どんなにピンチであれ、いやピンチであればあるほど会社として守るべきは活力なのだ。活力こそ会社ではないか。なのに会社は重役と建物を残そうとする・・・。そして社会はそんな不合理を見過ごす。不合理を見過ごして気づかないのは私たちが自分の活力に重きを置いて生きてないからだ。
 気という概念がある。古来は生体エネルギー・生命エネルギーを気とよんだ。中国には気孔師という治療師がいるのは正しいが、気効力は理論的に有り得るだけでスプーン曲げと同じ手品の類だ。手品だから気功術という治療方法は存在し得るし、西洋医学の盲点を補うに余りある価値を持つ。余談だが気孔師の手品のテクニックは我々の瞑想方法である流想をもってすれば無視もできる。気は自分の体中でしか昴められず、自分の意志でしか昴められないからだ。
 話が飛んだ。気という字の入った言葉が結構ある。景気・不景気・中気がそうだ。中気の中は当たるの意味で、何に当たるかといえば気に当たるのだ。元気とは源気の意味で、元気過ぎた気に当たってしまう(体がついて行けない)のが中気という病気なのだ。
 滝に打たれると分かるが私達の気は非常時には普段の二倍の量が発揮できる。生活に問題意識をもたぬ人ならば三倍の力がでる。我々の生活は適量な気(生命エネルギー)で営まれている。だから常に火事場のバカ力で生きなければならないものではない。
 常に火事場のバカ力が必要ではない。がバカ力を発揮した場合にある種の快感がついて来る。ここが問題である。筆者はこれを生きる醍醐味と言う。あるいは生きがいとよぶ人もいる。マラソンをした人が体験するランニングハイなぞはこの快感が自分の中に存在している事の証明である。『神は人間を救わない、それは快さを受けられていて初めから救われているから』と筆者は滝で言う。
 この快感こそが活力の源だ。現実社会で行われているリストラはこの快感を失わせている。働く目的が経済だけでないことを多くのトップは忘れている。若者の失業の多くは生きがいのない会社に原因があるのだ。若者が楽しさという意味で表現する生きがいを求めてに職捜しをしているのに、高給福祉厚生を保障してトップの任を果たしたと思っているところが悲しい。媚びる必要は無いが、若者にチョイスされない会社には活力がなく、活力のない会社のどこに将来があると言えるか。若者の就職率が悪い、ミスマッチで片付けられない問題なのだ。
 活力の大切さを自分が知らないからリストラができ活力を提示できない。活力の大切さを知らないのは安楽な生活を大切にするからだ。努力をして安楽な世界を築いた人生で、回りがその努力を認めてくれたとて空しい。膨大な努力のその快感を味わった、が正しい。
 安楽な世界は生きている限りあり得ない。あり得ない安楽を作ってしまう不合理・・・それを我がままと言わずして幸せと解釈する、錯覚の悲しさ・・・それが現代の多くの社長の姿だ。そんな社長は平然とリストラできる。がリストラすべきは社員でなく豊かさに胸を張って安穏できるトップの心だ。永遠に安穏でないから心だ。そして安穏でないから人生は楽しいのだ。

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