(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成15年6月号
  SMAPなるグループの『世界に一つだけの花』という歌が流行している。このコラムで掲載したかどうか定かでないが、男の作詞には優しいゆえの嘘があり、女の作詞にはたくましさゆえの現実そのものがると言った事があるがこの歌の作詞も男の手による。

 NO1にならなくてもいい
 もともと特別なオンリーワン
 花屋の花は
 この世で一番だなんて
 争うこともしないで
 誇らしげに胸を張っている
 それなのに人間は
 どうしてこうも比べたがる?
 一人一人違うのにその中で
 一番になりたがる?
 人に負けまいとする
 そうさ僕らは
 世界に一つだけの花
 一人一人違う種をもつ
 その花を咲かせることだけに
 一生懸命になればよい
という歌詞だ。

 歌の内容は教会でいつも訴えている事でもある。過去にも未来にもたった一人しかいないのが自分だ。それがどんな「人並み」から外れていようが過去にも未来にも自分しかいない。筆者は過去にも未来にもたった一人しかいないことの説明を遺伝子の世界から説いたりして来た。遺伝子世界だと自分の貴さ特異さがよく分かる。自分と同じ遺伝子をもった人間が誕生する率は皆無だ。だから自分はかけがえがない、大事にしよう。だからたった一つだけの自分という人生を味わって生きよう…と。
 だがではどの様にすれば「一人一人違う種をもつ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればよい」のだろうか。そこが問題だ。そこが教会とこの歌の違いだ
 現代は優しさを第一に貴いとする風潮がある。争いを避ける事が正しいという風潮にあるがそれでこの詩をりかいしたって間違いだ。
 作詞家の思いと違うかも知れないが「NO1にならなくてもいい 」「一番になりたがる?人に負け(てもよい)」 事を全面肯定したら世界に一つだけの花は咲かない。かといって人に負けまいとすることも間違いなのだ。つまり、この詩は自分に対して小さな勇気を持つ事・持たなければならない事を前提にしているのだ。結果と方向づけがわからねばこの詩は誤解されておしまいだ。やりたいことをやり尽くして咲かせた花は自分らしい花ではないという事だ。
 明確に言えることは、回りと争わない・一番にならないでいたって、たった一つの花も咲かせられないという事だ。いつも自分だけとは戦っていなければならないし自分以外と戦っても無意味であることを分らねばならない。
 教会でいつも言う「人生は自分との勝負」 「全力を出し切る義務」 こそが大切なのだ。自分と戦って自分がやるべきことに全力を出し切るだけで世界でたった一つの花は咲く。たった一つの花を咲かせるには、戦う相手も全力を出し切るという戦い方もすべて自分が対象で自分への努力をする事なのだ。自分への努力を放棄してやりたい放題でも花も咲くが、他人と同じ花となる。
 だが現実は、他人と同じ花で安心し同じ花であろうと努力している人も多い。教会で訴えるのと同じこの歌詞はある程度皆が理解できる。だが理解できても実行できない。明日を生きる為に、戦う相手も戦い方も回りに求め、自分で自分の首を絞めているのが現実だ。
 自分と戦っていない。だから自分で自分の本音が分からない。本音で生きてないから本音と建前の区別が分からない。そして類似花を咲かせる。生きる意欲の強さの問題だ。生きる意欲の強い人は「私」と「公」の別が分り会のこと自分を戦わせるから、私というたった一つの種が見えてくる。
私事を優先したっても私は存在する。だが、肝心のたった一つの私の種は絶対に見えて来ない。





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