(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成16年12月号
  地球の温暖化で今年は色々な災害が起きた。新潟県の中越地方も水害に遭った。そして思いもよらぬ震災にも遭ってしまった。
 信じない人は信じないで結構だが、筆者の目は色弱だが、色彩に虚弱なその目には地震の有無がある程度分かる。参考までに書くが強風が吹く時は景色が近くに見える。その近さに加えて赤っぽく見える。例えば月が新潟で青っぽく見えて阿賀野市で赤っぽく見えれば阿賀野市は地震のエネルギーがより多くある事になる。今回は南の方向が近くて赤っぽくが見え、「地震が起きる」と漏らしてはいたようだった。だがあれほど大きいとは思ってもみなかった。筆者の目には地震の有無は分かっても大きさまでは分からない。
 さてこの中越地震に際して、総理大臣が視察することになった。だがその朝「ヘリが飛びにくい天気のため」という不可解な理由で中止となった。その後、中止に対して色々な方面から非難が上がったのを知って、視察にする事になった。
 だが既に遅し。総理の視察の目的が自分の政治ショーでしかないことはごまかしようがなくなってしまった。良くこの欄で書くことだが、「言われてやったらうまく出来たって零点。言われなくてやって失敗しても百点」なのだ。思う事や意識する事の重要性はここにある。本当に視察する気があるなら総理という権力の頂点にいるのだからどうにもできる。それがヘリコプターの飛びにくい天気ゆえに中止というのだからはなから視察などは形だけだったと言える。今回に限った事ではないが、正当な理由をもたず行動が中止されるのはその行動が曖昧な事を証明する。個人で曖昧なのはそれで仕方ないが一国の総理という「立場」で曖昧なのは恥ずかしい。
 そういえば筆者はこのお方が総理になった時「日本が最悪のときに最低の人が総理になった」とこの欄で書いたように思う。個人攻撃をする訳ではないが、このお方に限らず「痛み」を知ろうとしない人は社会の中心から除外されて当然なのだ。それは痛みを知らないのだから自分の人間性の形成も社会性も未熟で、だから適切な処理のできようもないからなのだ。
 筆者が滝を通して人を見るのはこの一点でしかない。歪みとか変人とか善人などはどうでも良いのだ。だから筆者は総理を不遜にも「最低の人」と称した。痛みを知る人なら立場と個人の混同などしない。痛みを知る人はいたわりの重さを知っている。天気が悪くて中止などとは絶対に言わない。新潟地震の時、地震が自分のせいで起きた訳でもないのに泣いて詫びて回った知事がおられた。言葉では満腹にならないし寒さも凌げない。だがそれが最大の励ましだったではないか。それしかできない事を心から行った知事だった。思うということはそういうことだ。心から思い立つには、心に達する痛みが沢山あらねばならないのだ。
 人間は失敗して成長し自己を確信し、確信した自己を磨いてゆくものだ。
だから失敗という痛みに躊躇する人かどうかだけを筆者はじっと見る(筆者がどう見ようと社会には関係ないことだが…)。痛みに対して躊躇する人は励まして行けるが痛みを避ける人には申し訳ないが励ます方法がない。自分が変わらねば真の解決にならない所似はここにある。
 殊に山古志村の人々の村をすてた思いを考えると申し訳ないほど悲しくなる。山古志村は戦後の町村合併に取り残された。取り残されるだけの、谷底にへばり付いた貧しい集落の集まりの村だ。過疎に置き去りにされた村は震災でも置き去り状態だった。総理があいまいに視察をした日、新潟のビッグスワンの駐車場は自衛隊のトラックで埋め尽くされていた。あの姿を被災者が見たらどれほど安堵することか。筆者は涙した。







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