(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成17年4月号
 法律には、それを定めるための前提がある。その前提を無視すれば法律は意味を失い、その前提を無視できる生き方は命の使い方の怠慢と反省せねばならない。
 ライブドアとフジテレビの株取得の争いである。株を巡って裁判になり、ライブドア側に有利な判決が出た。裁判では商法だけが問題になった。法律を基準にするのが裁判だから、今回は商法と現実を照らし合わせするしかない。だがコメントを求められた識者の殆ども裁判同様に商法解釈を巡っての意見だった。更には我々の多くも同じに、俄か商法学者となっていた。残念な事に法律ではなく不文律で見る人は少なかった。
 どっちもどっちで、筆者はライブドアもフジテレビもその考え方が嫌いだ、大嫌いだ。
 大切な事が両者に忘れられているのだ。その大切なものとは「大義」である。もっと正確に言えば「社会貢献」である。大義・社会貢献などというと青臭いと切り捨てられる。が簡単に割り切れる若者を大人と呼んで来ただけで、だから多くの純真な若者は大人社会を馬鹿にし加わろうとしないのだ。
 今回のライブドア対フジテレビの争いは放送界の社会貢献という議論がされておらず、論議なき事に疑問を思わず、商法上でのみ考えた人が圧倒的に多くいた。
 筆者は若くはないが青臭い。だから、事業はすべからく社会貢献が基本にならねばならないと考える。社会貢献が果されればこそ、社会から支持を受ける。支持を受けるから、会社を存続させる義務がある。社会から支持を受けない会社には存在理由がない。ところが現実は、会社があるのだから利益を上げねばならないと考える人が多い。それは我がままでしかない。社会に貢献できない会社が利益をあげて存在するとしたら、それがどんな大きな利益を出しても詐欺と同じだ。命を私すれば神への背信であるように、会社を私すれば詐欺と言えるのだ。話が飛躍するが、電話勧誘の詐欺商法を行ったり詐欺すれすれの仕事をやっている人達を非難するが、親の多くが会社の存在理由を社会貢献でなく利益に置いているとしたら、その子達が何をやっても儲けさえすれば良いと考えても仕方ない。
 今回の対立劇では「株主の利益」がキーワードになった。が株主利益と社会貢献とは違うから、このキーワードは間違いだった。株主が企業を育てるという理想をもって株を買うのではなく損得だけで買っているのが現実だ。株主にすら社会貢献という発送が欠けている。社会貢献という不文律に気付かないから商法上の事しか言えなかったのだ。青臭い「社会貢献」という言葉・理念を大人が率先して言えない情けない現実なのだ。
 だからまた話が飛躍するが「やりたいことをやったからいつ死んでもよい」と恥ずかしくもなく言えるのだ。社会貢献を知らない人もこの様に命を私する人も、我がままという恥をさらしている。なのに「これだけ儲けた」とか「やりたいことをやった」と自慢し満足する。人生の真実は年齢も学歴も地位も一切無関係で真摯に生きてれば簡単に分かる事なのに、だ。
 例えば、ライブドアの社長は東大出である。だから法律の記憶や解釈には長けている。だから、法律違反をしなければ何をやってもよいと考える。だが、人間という不合理の固まりの調整の為に法律が存在する事が分かっていない。だから社会貢献ではなく株主の利益をキーワードにしても
間違いに気づかない。社会貢献とは言うまでもなく人間への貢献で、人間への貢献とは不合理への貢献であって、ライブドア社長の様に簡単明瞭に割り切れられては不合理への貢献などできないのだ。
 …ライブドア社長を悪く言ったが、筆者はそれ以上にフジテレビを悪く思っている。貢献を忘れ我欲しかなければ醜いだけなのだ。








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