(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成18年10月号
 子が母親を殺す事件が多発している。この種の事件に親のあり方というものを思う。

 子が親に憎しみの情感を抱くのは悲しいがありふれた事だ。が憎しみという情感の我慢ができないで殺すというのは異常な事だ。しかし、子が情感を我慢できないのは親の生き方に問題がある。親が我慢をできない・我慢しない生活をし、それを幸せであると錯覚している事を子が学んでいるだけだ。

 「流行り裸でも」という諺があるが、現代は正にそういう時代であるようだ。ホリエモン、小泉小劇場がそうだ。その現象に便乗せねば気が済まない心理が現代の大人にある。一人になれない、一人で思考することを忘れたのが現代の大人とも言える。

 余談になるが、だから現代には文化がなくて現象しかない。文化には恥じらいがあるからだ。だから「流行り裸」は現象にしかならない。現象しか生めなくて文化を生めない事はものすごく恥じなのだが、それを幸せと称する。例えば負けたのにチャンピオンになったKというボクサーは、見ているだけで不愉快だ。話方も礼儀もなっていなくて、非常識もはなはだしい。常識をわきまえて無視する行為と常識を知らない行為とは全く違う。なのにそんなKにも追っかけがいる。人の本質も見れないで追っかけをして得意がる…恥としないのだから言ってみようがない。

 話を戻すが、それほどに現代の親は自分の思いに我慢辛抱をしないで即刻に果たそうとする。即刻に果たせないことを不幸と宣う。即刻果たせても肝心の照らし合わせをしないで済ます。

 そういう親に育てられた子は、だから我慢辛抱という事の発想すらを知らない。手本がないのだから知ってみようがないのだ。


 むやみやたらに我慢辛抱すればよいのではない。だが、社会での解決は妥当というポイントにしかない。我慢辛抱は妥当なポイントを受け入れる際に必要な力で、解決に自分を導くには絶対必要な境地である。その境地を知らないで育ったから親を計画的にも殺す…。

 流行り裸の親は当然に気が済む事・満足する事を解決にし、照らし合わせをしない。照らし合わせをしないから親の気分を子に押し付け、それを躾と称する。

 一連の母親殺人事件のキーワードは「勉強しなさい」であったが、この言葉を使われた子が親に問いたかった事は二つあった筈だ。一つはこの言葉の真実を納得させる説明をしてほしい事、もう一つは親の気分の押し付けではなく妥当な事の強制であってほしい事だ。

 「勉強しなさい」の言葉は親の愛情・躾の表れのように見えるが、親そのものがその理由を分かっていない。その証拠に勉強をせねばならない理由を、多くの親は社会的地位の獲得・立身出世以外には説明ができない。子を納得させる説明ができない癖に子にそれを押し付けているだけだ。

 殊に母親は子を自分の所有物に思う傾向が強いから、押し付けを何とも思わないし、押し付けている事すら気づかない。子は人生経験が不足だから迷惑の理由を親にはっきり言えない。はっきりと言えないから憎しみとなり、自衛のために武力を行使し殺人を犯す…。

 子はいつも親の前では精一杯背伸びをして親の思う良い子に成ろうとする。だから良い子に育ったとしたらその分、自分らしさを失っている。悪い事に親は子に個性など見つけようなどとしない。親が孤立できない分、回りと同じにいや回りより有利になる意見を子に押し付ける。それを社会常識と信じているからタチが悪い。そんな事よりも、やる気・自信を持たせるのが大切なのだ。

 子に社会常識を押し付ける母親は夫に対しても同様で、平気で夫の自信を消し去る。子と違って、お前なんか殺すに値しない…多くの夫はそう思っているだけなのだ。

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