(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成18年11月号
 国会で教育基本法が審議されている。この審議の中で愛国心が議論されたが愛国心が強制されるべきか否かの議論は少なかった。NHKのアンケートでは大人の八十パーセントが愛国心は必要だとしている。それは現代の若者に愛国心がないという見方に基づく。さらには愛国心を成績の評価対象にしようという動きまであって、ある県ではすでに通知表の評価対象になっている。愛国心について前総理は「自然の内に生まれるもの」と筆者と同じ考えの答弁をしたが、自然の内に生まれるべき愛国心を養い育てる旨の法制化しようとするのは甚だしい矛盾だ。経過があって結果がある事の理解ができない人だから矛盾に気づかない。
 自然に湧き出る心情を強制して疑問に思わない・・・これと同じような事が筆者の高校時代にちょくちょくとあった。例えば、担任の教師いわく「一緒に勉学に勤しむのだから同級生は仲良くすべきだ。だから今度の日曜日には全員でサイクリングをしよう」と提案をする。筆者はどういう訳かそのクラスの室長をしていて司会進行をしている。司会進行ながら筆者は「オレは行きません。仲良くなるのはよいことだけど、無理に仲良くなろうとは思いませんから。仲良しを強制されたって意味がありません」・・・。結果は室長の筆者対担任の議論になり、多数決で室長がいつも意見を支持された。
 昔の話だが、今もってその担任を好きになれない。かの先生は大学では児童心理を専攻されていたという。児童心理を専攻したというが生徒に求めたものは管理される事だった。筆者のような臍曲がりがいなければ、生徒を管理するために児童心理は有効だったのかもしれない。生徒の人権などかまわず生徒を管理しようとするセンスでは児童心理を何の為に学んだのかと今もって疑問に思う。
 この先生のように、結果として到達すべきことを本末転倒して無理やり実現させようとする・・・実現できたとしても意味がない事を言いたいのだ。筆者のクラスの仲良しの件でも国会での愛国心でも同じで、元来は結果として得られるのが正しい。サイクリングをしたり通知表の評価対象にして無理やり結果を出させることではないのだ。本末転倒して結果が出せたとしても、満足以外に意味がない。私達はそんなちゃちな満足の為に頑張っているのではない。
 話を愛国心に戻すが、若者に自然な心情が湧いてないから愛国心がないというがそれはこの国に活気がないからだ。活気がなくてどうして国に親しみを持てようか。一つの国がどんなに不幸な状況にあっても活気さえあれば、愛国心は自ずと芽生えるのだ。豊かさではなく活気が愛国心を生むのだ。その活気は一人一人の生きる熱意と公平な社会からしか生まれない。
 何よりも活気、つまり生きる熱意と公平さが第一なのだ。この事をこの国の大人が全く判かっていないのだ
と筆者は思う。経過よりも結果優先で、結果をすぐに求める生き方を大人自身が反省せねばならない。
 例えば校内暴力という事件がある。すると親達が学校に入って来て生徒の監視をする。すると生徒はおとなしくなって校内暴力がおさまる。だがおさまるだけで、なぜ校内暴力が起きたかは永遠に理解できない。本当の解決は生徒が校内暴力を起こしても解決にならない事を知る事なのに、だ。校内暴力が起きない代わりに、生徒も教師も父兄も生きる意義を知る素晴らしい機会を失っているのだ。
 自然の心情であるものを押し付け管理する前に真剣に生きる熱気の大切さを大人がまず知らねばならない。結果がよくて笑えるのではなくて結果が悪くて不幸であっても笑って明日に期待できる人間性を作る事が大切なのだ。それが教育である。教育は生き方つまり信仰心に基づくものなのだ。

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