秋田の連続児童殺人の公判が行われた。自分の娘と近所に住む娘と同じ年の男子を殺した事件だ。
この公判では母親の鈴香被告は極刑を望むと言ってみたり黙秘してみたりで、弁護士の知恵づけも
あってか一貫した態度を示していない。それがまたこの被告の人格の歪みを示しているようで悲しく
思える。鈴香被告は物事をあまり考えずに育ったように思う。人格は生きて来た結果でしかないことを思い、現代のように経過を重視できない風潮を恐ろしく思う。経過を重視せず、受けた指示の吟味もせずにやり終えて善しとするなら、我々は皆が鈴香被告のような人格になり得るからだ。
それはさて今回の公判では「子供は母親の前では背伸びしても気に入られようとする」ものである事を改めて思わされた。殺された彩香ちゃんは母親の鈴香被告から邪険にされて育った様だ。だがそ
れでも「お母さんが一番好き」と言っていたという。母親の鈴香被告も以前の公判では虐待されて育
って来たと述べていた。が、母親が好きだと過去に言っていた。どちらも疎まれていたのに母親が好
きだっだ。
子は精一杯背伸びして母親の思いに応えようとする。母親に褒められようとして精一杯に背伸びをしてみせる。例えば三歳の子に漢字を習わせる。漢字を習わせるのは親の勝手な判断でしかない。三歳は社会の広がりやその仕組みや社会的ルールを覚える時でもある。その様に神経が大きく成長する時期なのだ。だからこの三才という時に、本来この時期に必要でない漢字を与えれば簡単に覚えられる。
漢字を覚える分、社会的ルールに欠けた子になるが、親に褒められた分益々に漢字を勉強する。
間違った例だが、このようにして子の背伸びの結果、母親は望む結果を導き出してしまえる。その為に、母親は子供を褒めちぎる。だが努力が通じない時、母親は子を褒めない。褒めなくても良いが少なくとも努力した事を認めてやらねばならないのに、だ。
子が母親の為に背伸びするのは母親が安心を持っているからだ。母親の持つ安心とは母性であって詰まるところが心音でしかない。心音でしかないが絶対に父親は代理ができない。心音がなぜ安心の源なのかと言えば、胎児の時にずっと聞いていた音だからだ。父親は妊娠出来ないのだから心音と無縁で、だからどんなに頑張っても安心を提供できないのだ。
だから母親の役目は子に対して物品や褒め言葉よりも安心を与える事だ。物品に満ち足りたとしてもても安心を知らないと子の心は歪んで行く。不安でいると子の感性がまっとうに機能しなくなるのだ。母親に見放されたと思う子はツッパリやヤンキーの様にただ目立って自分という存在を認めてもらうこと位しかなくなる。
母親はこういった立場を常に意識していなければならない。母親の立場とは安心を与える役目ということで、コトの成就や是非を問う事よりその子の存在そのものを受け入れ認める事にある。だが多くの母親は受け入れる事をせず、自分にとって都合の良い子とか大人を装える善い子という基準を勝手に子に求めてしまうのが現状だ。
更に言えばそんなだから、思いを叶える生活を夫婦の間にも持ち込む。妻の思いを叶えてくれない夫はダメ夫となる。ダメ夫と非難する妻は自分の思いの勝手さを知らない。更に情けないのは妻という戸籍上の立場だけで妻の願いは叶えてやるものと錯覚する夫が多くいる事だ。
親を見直す事は自立しようとする事でもある。それは母親によって歪められた心を自分らしく修正する事でもある。幼少期の人格形成に父親は何も出来ない。幼少期は母親の背中を見て子は育つ。母親が間違っていても子はそれしか知らない。・・・母親の責任は重い
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