(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成19年2月号
 正月早々、殺人事件が続いた。そのうちの一つは殺害者が新潟出身の女性だった。夫を殺し死体を切り刻んだあげくに捨てた。マスコミは例のごとく犯行者だけを悪者に報道していた。だがそうなのだろうか、筆者は犯人ではなく殺害者とか犯行者という表現をしてこの女性一人だけを悪者にしないように事件を多面的に見ようとしたが、「どっちもどっち」という思いがして情けなくなった。
 彼女の場合、高学歴・高収入は何の意味もなさず自己満足の手段でしかなかった。この点ではまさに現代の事件だった。
 現代にはやりたい事とやるべき事の区別がつかない人が多い。やるべき事が存在する事を分かる人はすべてに学び人生の奥行きを深くし、やりたい事しか知らない人より安心して生きられると言える。
 今回の事件で一番疑問に思ったのは夫に暴力を振るわれながら離婚しようとしなかった事だ。
 結婚は好いた惚れたで踏み切る事ができる。踏み切る為にそういった錯覚が必要なだけで、その実態は足の引っ張り合いの取組み相手を授かる事であって、逃げるに逃げられぬ関係に過ぎない。それが結婚の実態である。だが筆者の言う、足の引っ張り合いの因縁が結婚であると多くの人は思っていないから、自分を活かす、という理由で離婚してしまう。だが現実は離婚しても何も得られないし、得ても満足以外に意味がない。
 一方、この女性は離婚しなかった。とは言え、筆者の言うような意味や信念を持っていて離婚しなかったのではなかった。離婚しない理由は単に離婚すると世間体が悪く、社会的な地位が落ちるのが嫌だったからだ。高学歴・高収入・結婚は彼女の自分を飾るファッションであって、彼女の中身・奥行に関係しないものであった。
 女性は感情が優先する。感情のコントロールが不得手で、その行動が非論理的である。それに加えて、待つ事が不得手になってもいる。今・今の解決しか望まない。やりたいための今の辛抱が出来ない。やりたい事の正義を顧みる事などせず、それを果たせる事が自分らしい事で幸せだと信じ込んでいる。悲しい事にそれが男性もそうなって来ている。それを男性の女性化という。
 女性化した価値観にとって、実態が不都合でしかないのに、待たされたり辛抱させられる事を悪とする。だから、思いを叶えてくれるものが愛情であり制度であり政治であり宗教となってしまう。でもこれほど傲慢で曖昧な事はない。
 女性化した人々にとってそんな傲慢な自分に気づく人は少ない。。愛情や制度や政治で解決できるものがあるとしたら、極めて浅はかなものなのに、だ。人間の奥行きがそういった浅はかなもので解決出来る訳などがない。 人間を現実的に救える宗教があるとしたら、そんな宗教は大いなるまやかしである。心を扱える宗教でさえ自分を救えるのは自分の努力に尽きると説かざるを得ないのが真実だ。
 絵に描いたリッチな生活を実現出来たとして、人と比較してみて上という優越感で奥行きの痛みから一瞬は逃れられそうに思う。だがそんなチャチな優越感で人間の持つ奥行きの痛みは消え去るものではない。人はそれぞれに奥行きを持ちその奥行きは痛みを持つ。痛みを持つからこそ奥行きなのであり、だから物事をしっかり受け止め学ぶ事ができる。だからこそ唯一一人の自分になり得るのだ。
 その奥行きの痛みを夫は妻に、妻は夫に、更に親は子に、子は親に解消してもらおうとする。更には立場やリッチな生活で解消しようとするがそれはあり得ない。絶対に無理なのだ。自分の奥行きの痛みを受け入れ、痛みとの付き合い方を見いだして初めて安心できる。安心は制度を整え人間関係が良く整ったとしても、自らの努力以外に生まれないものなのだ。
   

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