(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成19年7月号

  出雲へ歴史探訪に行って来た。十二回目の鬼に会う旅だが、今回は奮発した。だが奮発した甲斐は十分にあった。歴史探訪の旅をしていてここ数年の事だが、稲作文化が終わった、と思う。日本人とは何なのだろうと考えると良く分からなくなる。筆者が分からない事なのに、ほかの人が「これが日本人だ」と簡単に断言する。簡単に断言してもよろしいが、何を理由に日本人日本文化と言うのか、と考える。すると簡単に断言する分だけ、日本人という理由がその人の主観や好みであると気付く。
 そんなことで日本人を決めて良いのだろうか…。日本人として不変なものは何なのか、という問いかけが一番大事なはずだ。歴史旅をしていて思うのは繰り返すが、稲作文化が終わった、ということだ。北九州に稲作が始まって今日まで三千年間、一貫して米作りをして来た国であるし、今も恐らく将来も米は作られて行くだろう。が稲作中心という価値基準はとうに失われてしまっている。その事にいやでも気づかされるのが歴史旅なのだ。

 稲作中心という価値基準は三千年続いた。稲作中心が日本文化とも言えた。鎮守の祭りから音楽や食事や作法や家族関係までの、生活一切が稲作中心から生まれたものと言えた。そして現代、稲作に従事する人は極端に少なくなってしまった。この為に稲作文化は失われつつある、いや失われた。
 稲作文化とは簡単に言えば、田畑のある土地から離れないということだ。鎮守の祭りとは言うが、晴れがましく楽しいものとばかりは言えない。稲作の最大の労力は近所つきあいにあるからだ。近所つきあいにかける労力に比較すれば、農作物を作る労力は微々たるものとも言える。それほど回りとの折り合いに気を使って来たのは共同作業をせねば田畑の維持ができなかったからだ。村八分の恐ろしさだ。だが現代はその共同作業がままならなくなって来ている。稲作文化の崩壊だ。農地解放で田畑は農家の名前になったが今も田畑は勝手に売り買いできない。今も農家は田畑から離れない制度になっている。それでも共同作業ができないのは稲作で生きて行けないからだ。農政を批判するのではない。稲作文化の崩壊を言うのだ。
 稲作文化最大の物は「あいまいな人つきあい」だ。その時だけ気まずい思いをさせない事だ。このような稲作文化の近所つきあいに汲々とする姿は農家に限らず、日本全体のものだ。
要するに人から悪く思われないことに腐心して来たのが稲作文化なのだ。だから私達の多くも「良い人になれ」と何も疑問に思わずに言って、子育てをしている。親もその様に躾た。親の通りの子育てをした。だがその弊害が教育や介護に現れ出した。
 稲作文化が薄れなくなろうとした場合に、残っている価値観とは自分を犠牲にして人つきあいに汲々とする文化ではなく、
個人を大事にする文化だ。つまり自分一人が裸で生まれて一人で死んで行くという事だ。
 となると、一人で何をしても構わない。では何を一人でやるのかと問うと、答えが出せない。それが現代なのだ。だが現実は一人にすらなれない。集団を組んでヨン様の追っかけをしたかと思うと今度はハンカチ王子のおっかけだ。何をやろうと他人に迷惑をかけるでなし、自分で責任を取るのだから良いではないかと居直られればそれも正解で文句はない。
 だがその程度の事を楽しいと思える自分を浅ましく思えねばならない。楽しさも感性によるが、少なくとも一人で真剣になれないものは楽しい分野に入らない。
 この事が不明瞭だから介護の世界ではやってもらって幸せとなり教育世界では知識の偏重となる。…新しい価値観は稲作文化三千年の歴史を越えねば生まれない。いつまでも稲作文化を日本の美しさと言っててはならない。


   

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