(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成20年11月号

 お気づきの方もおられると思うが本紙は先月からパソコン編集となった。本紙の創刊が昭和六三年四月だから、ワープロ編集で実に二十年半頑張ったことになる。本紙は創刊から今月で通算二四八号となる。だが先月号では二四三号になっていた。これは間違いだ。ひとり編集のうえ締め切りに追われるために、と言い訳しながら四号分遅れてカウントしていた。今月、十一月号から訂正した。不慣れを早く克服して読みやすい新聞にしたいと思っている。
 切り替えに伴って二四八号の内、大切な部分を資料としてパソコン保存せねばならないのだが、この作業に膨大な時間がとられている。それが辛い。辛いと言いながらその作業をやっていていろいろと思い出したりして、それはちょうど引越しの荷物整理の心境となっている。
 二四八号の内、継続シリーズとしては小説とこの抄の欄がある。後は縄文研鑽倶楽部の歴史資料と何より五七五がある。結構な分量になる。  
  四十の手習いという言葉があるが、五七五について言えばひょんな事から気づいた筆者の能力である。気づいたのが四十歳過ぎなのだから人生は面白い。何が待っているのか判らない。自分で自分を固定して考えていては駄目だ。必要に迫られてもがいてさえいれば、そのうち新しい出会いに至る。その新しい出会いを苦痛と思うか楽しいと思うかで違いは大きくなってゆく。五七五は十三年間に及ぶ。全てオリジナル作でダブりはないはずだ。筆者の語感遊びでもあるが、こっ恥ずかしい感性が表れるし、息も絶え絶えの遊びの連続でもあるのだ。
 小説は近いうちに完結する。今の小説は繰り返しの手直し編であるが…。教祖先生の半生を描いたものだが資料集めには難渋した。人の一生など自分がわかればよいのであって、人に記録される代物ではないからだ小説の主人公にされた教祖先生こそいい迷惑であられたと思うが…。主人公は教祖先生ではあるが、人格は筆者そのものなのである。それが辛い。やはり筆者そのものが表れてしまう。人生はひっそりと、が筆者の願いなのに全く逆なことをせねばならない。著述という世界に足を突っ込んでしまわされた結果であるが、同じやるなら腹を据えてかからねばならないという筆者の性分でここまで来てしまった。結果は五流の物書きのまねで精一杯なのだが、思うのは物を書くということは体力勝負だということだ。案外と頑丈に出来ていた筆者の身体であった。丈夫に生んでくれた両親と健康を維持させてくれた滝に感謝すべきなのだ。
小説は完結まで十年余を要するので、これを資料保存するのにも難渋している。だが一番難渋しているのがこの抄欄の保存なのである。
 この欄を休んだことが十回ほどある。それは初期のことで、原稿が書けなかったのではなくて実情は紙面が足りなくなって欠欄したのだ。それでも二百三十回は掲載を続けてきたわけで、保存資料に残す作業は容易でない。こんな話をしていたらと「せっかくの小説や抄を本にして出す気はないのですか」と言われたが、それより目先に迫られたものの消化だけで精一杯だ。
 筆者は「抄」の欄は読み手の理解を求めないで書かせてもらっている。おこがましく言えば、筆者の生きる熱意が伝わればよいのであって、内容の齟齬などは気にしていない。論理的に生きられる人間はいない。一人ひとり授かっている個性と言うものの正体はイビツでしかない。そのイビツさをさらに磨いて生きてこそ人生なのだから論理的に生きても全く無意味なのだ。だからと居直るわけではないが、思うままに書かせてもらってきた。ただその齟齬を指摘されたら『オレは心底そう思っている』とだけは言える。それだけの熱さは持っているつもりだ。ただ熱さとは尖がった心でなければ出てこない。丸い心であっては熱くは生きられない。その尖がりは滝を通じてしつけられてきたと思う。二十余年、尖った心を大事にして来た。当然に毎日毎日ドキドキハラハラの連続であって心休ますことが無い。だからこそ色々な物が見えたし書いたつもりだ



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