(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成20年8月号

 鬼に会う奈良の旅は色々と収穫があった。歴史を旅して思うのは美意識や価値観で真実は見えて来ないということだ。例えば日本人とは何か、日本人らしさとは何かはなかなか見えて来ない。なのに「これが日本の姿だ」とのたまう人がめったやたら多い。何の根拠もない主観が多い。美意識ですらもなく、ご都合意識である。戦前の我が国や、現代の北朝鮮の歴史観であってはならない。都合で日本人を説く人に踊らされてはならない、と思う。
 日本人を説く人はどこまで歴史を知っているのだろう。縄文時代を日本人の理想に見るのだろうかあるいは弥生時代にか、または武士社会にか・・・。日本人の特性をどこに見るのだろう。そしてその特性に合わせて社会を作ろうと本気で思っているのだろうか・・・どうでも良い事のようだが、鬼に会う旅をしていると浅はかな日本人学・歴史学の多いことに心配がゆく。
 前から筆者は稲作文化が日本文化だとしても既に稲作は終わったのだから新しい価値観を、と唱えて来た。稲作文化を守る為に稲作文化の固定を日本がしている訳ではない。国は積極的に稲作を守ろうとしないし経済界も米を主食にしなくなっている。なのに政府は現代に至っても農家に田の使用権しか認めない。勝手に田畑の売り買いをさせない。つまり六四五年に施行された公地公民という制度のままで土地は未だに公=国の物なのだ。だから米を作る農家は昔からの土地から離れられず、未だに半公民なのである。これをもって日本人らしさと言って良いのだろうか?。筆者は稲作文化を「ノーなのにはいと言う文化」「その時叩かれねば良い文化」と言う。その意味で現代のいじめは奈良時代以前に始まって現代に至っている。以上は筆者の偏見である。
 だが「水田農業と言うのは生産の場である以上に協業の場であった。水田農村に住んでいると、精神が被っている皮膜が他人からの批判に極度に敏感になり、物笑いやうわさという物を恐れ人の言葉が刃物のように感じられて来る。人の口からの害を防ぐために対人関係を柔らかくせねばならず、互いに無意味な挨拶言葉を交わし、互いの感情を敏感に察しあい村の習慣をできるだけ律儀に守り仲間うちの冠婚葬祭には神経をこまやかに参加せねばならない。日本人の一般的な人事文化というものは水田農業の社会から発生し成熟した」。これは司馬遼太郎氏の文章である。この文章と筆者の言う事は同じと言えるが、この文章ならば多くの人は同感と思ってしまうのではないだろうか。
 さすが司馬遼太郎は水田農業の人事文化を、だから悪い、とは言わない。短所は換言すれば長所であるから、良い悪いを言っても仕方ない。問題は古来文化の基だった水田農業が衰退している事にある。稲作が日本に入って来て3千年、今や水田は荒れ放題だ。何より稲作をする人々の価値観も多様化していて、極言すれば基本価値が見えず、心も荒れ放題なのだ。
 米離れを肯定するなら、日本は新しい文化を作ってゆかねばならないのだ。太古からの価値観が正しいとは限らないし、もしその価値観を残そうとするなら日本を再び稲作国家に戻すしかない。ちょうど江戸時代の鎖国の様に。鎖国下の江戸では元禄文化がきらびやかに花開いたではないか。
 でもそれで済まない。何事も国単位ではなく地球単位で考えねばならない時代だ。人間は急には変われない。それは我々が滝に打たれていて判る。二十才三十才の価値観だとしても、それ以上の時間をかけねばその人は変われない。日本稲作三千年の歴史時間をどんな時間幅で変え、新しい日本という個性を導き出すのか?それが今までの啓蒙家がいうような好みや利便であってはならない。・・・歴史はしっかり学ばねばならない。


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