(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成21年3月号

 白玉の滝での真冬の滝打たれが終わっても、村松の滝場では寒篭りが続いている。この冬は暖冬で逆に打たれ難い。水温が四度以上になっている。水温が四度以上だと冷たさが身に滲みる。四度以下だと水が凍りだすために、砂をかぶる感覚となって、滝水の冷たさが痛みに変わり出す。 
 新発田農業高校のラグビー部が恒例の滝打たれにやってきた。彼らの冬の合宿の定番が精神鍛錬の滝打たれになっている。かれこれ七・八年になると思う。今年は彼らの精神的な成長に驚かされた。
  

 滝打たれを取り入れたから強くなるのではない。だが、ラグビーという競技を通して人間教育をしてゆこうと言う目線が素晴らしい。そうゆう指導者に出会える部員達に運の強さを感じる。『君たちは今、多くの大人でもわからない金では買えない、財産を手にしようとしている』とは不肖筆者の言葉である。今後一層自己鍛錬をして素晴らしい財産を更に大きく手にしてゆくのだろうと思う。
 こういった、金で買えず目に見えない価値の判る連中が滝に来る一方で、大人の多くは金で買える形のあるものを求めて滝に来る。
 金で買える形のあるものを社会では幸せと信じている。金で買える形のあるものは都合を満たしてくれるから確かに幸せではある。
金で買えず見えないものの価値を大人も口にする。が、多くの大人はその実、それを夢とか偽善とか青臭いとか思っていて信じてないし、実現しようとしない。だがそれは自分の努力不足なのだ貴い価値・青臭い価値ほど実現が難しく実現するまでの努力が難しいから、途中で投げてしまうだけだ。
 夢は思っただけですでに満点を取っている。夢の実現は満点に一・二点を上積みするだけの結果なのだが、この一・二点の上積みのためには強く思わなければならない。強く思い、深くこだわらなければ夢は実現できない。だがそれは難儀の連続で、その難儀さにネを上げた挙句、価値観を放棄してしまう。その結果、金で買えず形に見えない価値を偽善とか青臭いと弁明してしまうだけなのだ。
 金で買えず目に見えない価値がその思いのままに正しい事ばかりとは言えない。だからその価値を実現した時に、全く別の形になる事もある。だが難しい事を独力でクリアーして来た歴史があれば、最初の思いと全く別の形であっても納まりの良さに納得してしまう。物事は納まりの良いところに落ち着く。それが解決というものの実態である。自分の思いの闇雲なる実現を解決と言うのではない。だからこそ青臭いこだわりが必要なのだ。人間は青臭い人こそが社会の中心に存在する価値がある。
  人生は何が起きても正解なのだ。そして自分にとってあり難くないことが圧倒的に多く起きる。だから万難を排して、腹をくくって青臭く金で買えず目に見えない価値を実現する努力をすべきなのだ。
 昔「人生は何が起きても正解」と言ったら、何をやっても良いと理解した若者がいたが、そこに親の教育不足を思ったし、その親の生きる姿勢の間違いを思った。全ての悩みの根本には親の教育があると言うと厳しすぎる様だが、でも実際にそうであら。この寒篭りでも『振り返り』の行が課題とされた。そこで言えるのは、子供に幸せを提供することが親の務めであると殆どの親が信じきっていることだ。親が思う満足を提供してやって幸せなのだと錯覚しきり、安心を提供できない親が殆どなのだ。その不甲斐なさや情けなさを親は知るべきだ。
 
安心は青臭く金で買えず目に見えない価値を実現する努力を沢山に積み重ねて初めて息づくだから腹をくくりもせず難儀さゆえにその思いを強く持とうとせず、青臭い思いを捨てた親には安心が見えようがない。そんな人ほど青臭いこだわりを『若い・青い』で片付ける。だがそんな生き方に安心が見えてくる事はありえないのだ。


講話集トップへ戻る




トップ定例活動特別活動講話集今月の運勢@Christy