(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成22年4月号
 トヨタがリコールを行った。プリウスという車種のブレーキに異常が見つかったのだった。「ブレーキがおかしい」という苦情に対して初めは「主観の相違」と弁明していた。聞けばトヨタは今までもこっそりリコールをしていた。マスコミに載せなかったのかもしれない。同じ部品をいくつもの車種に使って低コストにした結果の不具合とも言える。が低コスト化という考えが間違っていた。
  今回はオーナー社長が説明をした。オーナー社長ですら「主観の相違」と弁明して、リコールが遅れたのだから、それが雇われ社長だったらリコールをしない事も考えられた。結局はアメリカの圧力に負けてリコールに至った。技術のトヨタ、という信用を落としたくなかったからリコールまで時間がかかったというが、それもテイの良い言い訳だ。消費者の安全を省みないで技術の信用はありえないからだ。技術の信用というのだったら不具合を素直に受け入れて対応するはずだ。消費者の安全より会社の都合というトヨタの価値観は、リコールを優先しなかった事で丸見えでだった。
  トヨタと日立は徹底した合理化という点ではよく似ている。そして下請け泣かせという点ではそれ以上によく似ている。では何のための下請けいじめであり、低コスト化なのだろうか。そこには『一人勝ち』しか見えてこない。そこまでして勝たねばならない必然はどこにあるのだろうか。その理由は何なのだろう…。
 トヨタだけが勝たねばならない必然も理由もないことが判る。トヨタの戦略として一人勝ちせねばならず、その一人勝ちについて言うなら、国際競争は想像以上に厳しいから、などというのだろう。だがそれは一人よがりの理由だ。そして言うなら、一人よがりの理由であるならば、彼らの言う一人勝ちも一人よがりでしかなくなる。一人よがりだから弁明が自分勝手さの主張でしかなくなっていた。それがトヨタの言う「主観の相違」ということだった。
  明確に言うなら、企業の役割を果たせない会社は存在しないほうが良い。誰でも会社を興すことは出来るが、生まれた会社が社会貢献できるかどうかという問題と会社を興すこととは意味が違う。企業の役割とは利益を上げて競争に勝つことではない。ここですでにトヨタも日立も考え方を間違えている。利益は会社が社会貢献するために必要な原資でしかないのだ。つまり社会に貢献することが企業の役割なのであって、社会貢献を明日も明後日も維持できるために利益を上げねばならないのだ。「社員を路頭に迷わせないために」と企業のトップは良く言うが、そのためにはその企業が何を以て社会貢献できるのか、今の社会貢献の質で良いのかで常に疑っていなければならないのだ。   会社の社会貢献が間違ってなければ、社員が路頭に迷う事態などは起きようがないのだ。社会貢献が国際競争の根本にもあらねばならない。外国に進出した日本企業はまず地元の慈善団体への寄付をするという。そうやることが社会貢献をしているという解釈をするが、それは寄付したから仲間に入れろ、というギブアンドテイクでしかない。ギブアンドテイクを社会貢献と理解していることは恥ずかしい。寄付とは金は元々皆の物という考えから生まれる。たまたま自分の所に多く集まった金を社会の皆に返す…それが寄付だ。外国進出した日本企業の行う寄付は仲間入りするための上納金のようなもので、ヤクザの社会と変わらない。
  会社の製品で社会貢献できることを喜び、社会貢献しやすくする為に外国に進出するだけで、利益を上げる為に進出するのではない。だが現実の多くは利益だけを上げるためだ。すでにこの時点でその会社は社会貢献という会社の命を失っている。だから一人よがりに気づかない。人間も同様で、一人ひとり自分らしくあれば社会から必要とされる。それを我を満たすという思いにとらわれる結果、自分の存在価値を自ら無くしてしまう。会社は誰でも興せると同じに、個人はどんな思いも抱ける。だが自分の思いを常に疑ってないと自分の存在価値を自ら失ってしまう。

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