(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成23年12月号

 TPPという第二の黒船が日本にやってきて開国を迫って大騒ぎだ。TPPとは「環太平洋戦略的経済連携協定」と訳すらしい。簡単に「環太平洋パートナーシップ」とも言う。
  一八五三年、ペリー率いるアメリカ艦隊四隻が浦賀沖に来た。これによって、日本は江戸幕府二百五十年の鎖国を解き、明治維新を引き起こし、富国強兵策を急速に推し進め、対応を違え、第二次世界大戦で敗れた。
 それ以上に厳しい開国がこれからの日本に求められる。工業品・農業品を含む全品目の関税を撤廃し、政府調達、知的財産権、労働規制、金融医療サービスなど、全ての非関税障壁を撤廃し、自由にする協定だそうだ。これによって農業生産額が半額の四兆円に減り、実質GDPは八兆円が減ずるといわれ、三百四十万人の雇用が減って、自給率が四十%から十四%に減るというから厳しい国情となる。正に第二の開国だ。
 この協定を結ぶ・結ばないでだいぶ揉めた。だが政治家の選挙母体保全のためのパフォーマンスのみが目だって、情けなかった。どうしようが結ばねばならないのだ。協定を結ばないなら江戸時代に戻って鎖国するしかない。例えばタイの日本工場の水没ニュースでもわかる通りで、海外の工場を閉鎖するか現地に置き去りにするかしかない。食料問題にしたって自給率四十%が十四%になるという。我が国で食料自給率が百%を超えるのは北海道・青森・岩手・秋田・山形でしかなく、東京都に至っては一%である。食料が減れば必然的に人口が減る。人口が減れば生産力も落ち、国として成り立たなくなる鎖国したくても出来ないだろう。野田という総理は農業団体を基盤にする国会議員の面子の為に一日だけ決定を延ばした。なかなかの姑息な演技をする総理に見えたが、菅前総理よりは良い。
 それはさて、日本は未曾有の転換期を迎えた。今まで保護されてきた職種は今までのやり方では成り立たなくなって行く。農業を悪く言うのではないが、他の産業と比べて理解できなかったのは、生産者と販路とが結びつかなかったことだ。作るだけで、売るほうは主に農協に任せて来れた。これは不思議な事で、どんな会社でも販路は自分で見つけるのに、だ。その上、関税がなくなるから外国の安い食料が大量に入ってくる。日本はコメの国、などとばかり言っていられない。消費者は目ざとく安くて美味しいものを見つけて食べだす。そんな中で、日本のコメ文化も大きな変化を来たす。変化させたくなかったら繰り返すが鎖国をして、少数の人口でひもじい生活をすれば良い。筆者としては、それもありかな、とは思うが時代の波はそんな停滞を潔しとしない。滝を不動様というが、ヒトは一人ひとりにも不動様がいる。そして安穏なだけの生活にいつか悲鳴を上げるように不動様は出来ているのだ。
 TPP協定の締結は、深く考えねばならない時代になった事を意味する。今までは難しい事は頭の良い人や国に任せて済んだ。指示待ち人間でも仕事の仲間に加えておいて貰えた。考えないのに指示を受けて、だからキッチリと役割を果たせるわけが無いのに、クビにならずに済んだ時代だったが今度はそうは行かない。自分の意思とか考えがキッチリ出来ていないと取り残される。三百四十万人の失業者の中に取り込まれてしまう。
 現代日本の或いは世界的にそうでるように『幸せであれば良い』という生き方の間違いをもつ人は社会から脱落させられてしまう。その責任は国ではなく自分に帰結する仕事も人生も本来は心意気でやるものなのだ。
 本来生きるとはそういうものなのだ。ヒトのせいでもなく制度で救われるものでもなく、あくまで自分で考えて自分らしく生きるだけなのだ。
関税撤廃で消費者は楽になるかもしれないが、楽になったところで人生の豊かさとはつながらない。退職したから年金を減らさぬように細々と、とか退職して働くのだから責任の無いところで、とか言うのは甘い。どんなに健康でも金持ちでも必ず死ぬ。死ぬから人生があるのだ。生きがいはそこからしか生まれない。死を考えない思慮というものは淘汰される。その意味では第二の開国はまともな生き方を求めて来る。問われるのは信念への自問だ。


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