(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成24年12月号

Facebookと言う連絡方法がある。中近東の王制が倒されるときにこの通信方法が大いに利用された。素性を明確にして友達になり、友達になった人の友達にも公表されるから大きな友達の輪が出来る仕組みだ。但し友達の輪であって和ではない。人は多く集まった場合に輪になっても和にはなれないものだ。
  ある日、筆者のパソコンにFaceBookの友達申請が2通入っていた。「これがうわさのFacebookか」と興味深く思った。制度も機械も生まれて早くて五年ぐらい経たないと上手く機能しない、というのが筆者の実感だ。Facebookも同様で、政権を倒す力にはなったが色々な弊害が問題にもなっていた。だが「いずれクリアせねば」と思っていたからその友達申請を受けた。筆者にはFacebook友達が二人できたことになる。
 受けてみるもんだ、と思った。それは友達の輪の誇大宣伝に出会ったからだ。二人の友達のその友達を見てゆく中には筆者の知り合いもそこそこ含まれていた。知っている人への筆者の目が正しいとは限らないが、自己紹介が誇大化されていて詐欺にすら思えるほどの人が多かった。そういう知り合いに出会うほど腹がたってきて悲しささえ覚えてきた。 滝が始まったばかりの頃の看護婦さんがヒーラーとして自己紹介されていた。ヒーラーとは宇宙のエネルギーを操作して悩む人にパワーを与え相談に乗って現実の苦難を突破してもらおう、と言う人だ。そういう人がいても不思議はない。だが、彼女に限らずだがそのような特殊能力を持っている人が大勢いる事はありえないのに、ヒーラーという自己紹介はFacebookに多数あった筆者はその彼女の歩いてきた人生を知っているからなおの事だった。
  インタビューされてたいした理由がないのにもっともらしい理由を答えているテレビの場面に出くわすがそれと同じで、彼女は先ずヒーラーになりたかったようだ。それも能力に目覚めたから、ではない。能力に目覚めた場合だったら彼女はもっと別の人格になってもいよう。要するに難儀をせずに生活できる手段を手にしたかったのだろう。生活の手段の為に自分の正体を偽っても平気なのだろう。彼女だけがそういった目線を持っているならよろしいが、気功とか古代療法とか言ってFacebookに載る人達にこの種の誇大宣伝が見える気がして悲しかった。
  概して、Facebookは成功する為に利用する人達の集まりに思えた。ヒトを自分の個人的利益の理由の為に利用することに何のためらいもないのだろうか。そういえば件のヒーラー彼女は滝打たれでも誤魔化しを結構やっていたし、その誤魔化しを黙って過ごせる人だった。だが誤魔化しても行える修行は修行足りえるだろうか。否、だ。人が為す事を省略して秘訣だけを手に入れようとするから結果は成功としては出ない。正統な努力を何年何十年もやり続けて漸く見えてくる秘訣を簡便な自己流のやり方で得ようとする。だから当然に秘訣などは得られない、そして自分の努力不足を棚に上げて他所に移る。移り続けた結果、秘訣は得られず、回りにも自分にも不誠実な人格を手に入れる…。
  自分に不誠実な人格となっても思いが叶えば良いと考えるが、それを無意味だと思わない事が悲しい。
そんな人格を受け入れるほど世の中は甘くない。しっかりとした価値観を持っていれば成功不成功に関わらず回りはその人を必要とするように出来ている。今やるべき事をやらないで、秘訣の近道と考える荒修行や人の気づかぬ事に挑んだりする。そのように今を選ぶ人は結局サムシンググレイトが判らない。そんな人が他人を励したり人生を説いてゆける不思議がある。
  成功せねば認められないし金を稼げない…その為に成功せねばならないのか…社会貢献のない夢の実現を成功と思うような貧弱な熱意でどうして自分が変われるだろう。サムシンググレイトはそれぞれの現実に苦・違和感を配置してその人が変わるようにしているのだが…。



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