(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成24年5月号

 何故自分の事を最優先して疑問に思わないのだろう。例えばオレオレ詐欺ならば犯罪と言うし、犯人を憎む。だが、では国会議員はどうなのかと問うたら、犯罪でないから良しとし、好もしく思ったりするのだろうか。でも、殆どの国会議員は次の選挙で自分が落選しない為の活動を最優先している様に見える。…東京電力の電気料金の値上げの問題と同じ時期に消費税の値上げがあった。そして政治家は圧倒的に消費税問題の議論を急いだ。小沢一郎と言う政治家が政局にしてしまったせいもある。新潟県でも、小沢さんのシンパである女性議員が副大臣を辞任した。だが先に議論せねばならなかったのは、電気料金値上げのほうではなかったか。なのに国会で消費税が取り上げられたら電力料金は瞬時に消えてしまった。
  この東京電力にしてもそうだ。値上げするのに、算出根拠の明確な数字を挙げてこない。出てきた数字は値上げ率の16パーセント、または今回値上げに反対した会社は契約更新する時に値上げ幅を20パーセントとする、その二つの数字しかない。電力生産の経費・必要経費が見えず、贅沢な福利厚生施設の処分状況も見えない。火事場泥棒の様に震災のドサクサにまぎれて値上げするようなものだ。
  東京電力について言えば、消費者は電力会社を選ぶ事が出来ない。でも送電だけをする新しい会社が見直されていて、送電専門の会社が発電料金を支払っても経営ができる。この事だけを見ても、電力会社の経営の杜撰さが判ろうというものだ。東京電力に限らずだが、電力会社は最強の官僚組織で社員は役所の職員以上に役人である。役人はどんな地方でもそうだが、既得権益を手放さない。だから電力会社に文句を言うのは役人に文句を言うのと同じである。だから政治不信を無くす方法で私達は電力会社と対決せねばならないのだ。要するに既得権益を与えない、と言うことだ。それが現代社会の求める『公正』と言うことだ。
  電力会社の値上げについて言えば、経済産業大臣が最終的に認可をするのだから、経産大臣が値上げを認可しなければ済むのだ。その事すら国会議員は黙って提案すらせずに済ませたようだ。電機業界から憎まれ政局に乗り遅れたくなくて、であろう。自己保身だけで政治の世界にいる、これを犯罪と言わないのか。自分の都合だけを最優先してやるべき事に目をつぶることはオレオレ詐欺と何も変わらないではないか。それとも電力事情に無知なふりを装ってやり過ごそうとしたのだろうか。無知である事は責任がないといいたいのだろうのか。
  無知関していえば『無知の涙』と言う本を著した永山則夫は、無知を連続殺人の理由にしたが、そうであっても一九九七年に死刑に処せられた。無知であっても死刑になったのだ。判っていて言わないのは無知より尚悪い。消費税の値上げの政局に乗るために電気料金の値上げに目をつぶれる政治家はもっと性質が悪いと言える。少なくとのその時代その現場に生まれ合わせて居合わせたのなら、黙ってやり過ごす事があってはならない…これは議員に限らず私達にも当てはまる事だ。そういう事を無視して自分の都合を優先できる生き方とは何を意味するのだろう。やるべき事を後回しにしたり無視したりして自分の思いだけを実現させようとする…私達はそれほどまでに楽に処せる事を幸せと思っている。ただラッキーなだけなのに、それを幸せと呼べる不思議さがある。だから、そのラッキーを自ら作り出すことも幸せに思っているし、夢の実現と評価する。だがそうではない、それはわがままの実現でしかない。
 しかしそうでありながら私達は自分の都合を優先していることに気付かない。だから仕事にしても儲かれば何でも良いとか、会社の目的は利益を上げる事だと信じて疑わない。その様に功利的に生きる事を恥ずかしい思えないのは辛い。せっかく授かった命をわがままの為に使って得意になっているのは悲しい。もっと堂々として魂の伸びやかな生き方がある。それが真実の生き方なのだ。
『やりたくない事から行わむ』が滝打たれの者の基本的な生活態度であるが、やりたくない事を避けている事に気付かない。反射的に選んでいる自分に気付かないからだ。


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