(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成25年4月号

 病気はその人が死んだ場合、それ以上には悪化しない。ガンが不治の病でその人が死んだとして、ガンは死んだ時以上に大きくはならない。
  感染症以外の病気は命ある状態でこそ病んだり治ったりしている。命あっての病気であってそれはまた生命活動の一環であって、生きて行く為の生理機能とも言えるのである。
  自分の病気が治らない事を苦にする人は多いが、不快であったり痛かったり動けなかったりする不都合を苦にしているだけだ。

 病気の症状の苦しい状態を脱し楽になることを「治った」と言う。要するに症状が楽になるだけで、それを治ったと仮に言っているに過ぎない。治っても生きているものは必ず死ぬからだ。つまり「死ぬ」と「治る」とは全く結びつかないことに気づかねばならない。だから冒頭に、死んだらそれ以上に悪くならない、と記載したのだ。
 では症状が楽になるとはどういう意味なのだろうか。例えば食べ過ぎれば吐いたり下ったりする。その力を恒常性維持機能と言い、この力は生命力に基づく。
  この恒常性維持機能によって人はどんな状況でも対応して生きていられる。但し状況に対応する時の多くは違和感を伴う。それが症状であり、症状の固定化したものを病気と呼んでいる。
  症状とは要するに状況対応したための体内のバランスの変化でしかない。だがあくまでもバランスの変化であって、バランスの崩れではない。どんなに苦しくてもその分、バランスが取れているからだ。バランスが崩れたとは恒常性維持機能が機能しなくなったということで、それは生命力が異常になったと言う事である。これは俗に言う寿命が尽きかけているという状態なのだ。
 恒常性維持機能が正常であるかないかは、どんなに苦しくとも症状が正常か否かにある。要するに恒常性維持機能が正常であるときには、症状はピークに達すればあとは治るようにできているものなのだ。全体に快方に向かっていればどんなに難儀でも治るようになっている。
  要するに病気は症状であり、恒常性維持機能が作用してうごめいている姿で、極言すればうっちゃっておけばいずれ治るのだ。どんなに苦しくてもピークが過ぎれば疲労度がゼロに近くなって生理的にグレードアップするのだ。但し恒常性維持機能が正常に反応している場合だ。生命力が弱くなってくると、この力が低下して異常な反応になって行く。いつもと違うな、と感じられる事が大事で、それには自分の体の反応パターンを知っていれば宜しい。
 恒常性維持機能とは体内の疲労をなくする反応である。疲れれば血圧が上がる…上がるから疲労回復がなるのだ。上がったら気分が悪くなったり更には血管や脳に病気を作ったりするが、それは疲労回復の為に血を回そうとし過ぎた為で、恒常性維持機能は大真面目で働いているのだ。血が回り過ぎない為には疲労をこれ以上貯めないように休めば良いのだ。
 だがどんなに休んでも疲労を追い出せなくなる…それが老化とか寿命が尽きると言うことでその結果で人は死ぬ。繰り返しになるが人は病気では死なず、寿命が尽きることによって死ぬのだ。
  疲労などによる違和感をストレスというが、ストレスがあればこそ体内疲労をゼロに近づけるための機能が動き出す。
  そのストレスを悪いもののように言う。違和感があるから悪いとは言えるが「都合が悪い」だけでしかない。このストレスを受け入れることは大事で精神的には情感を細やかにしそれが哲学にまで高められてゆく。生理的にも疲労度ゼロに近づける。生理的に疲労度ゼロとは生理機能がグレードアップしたことを意味する。
  産みの苦しみというが、ストレスはまさに自分の心身を自分らしさに向かって生まれ変わらせる原理で、恒常性維持の始点なのだ。それを悪者呼ばわりする。だから心因性疾患を病む。心因性疾患とは精神も生理も病んでいるということで、現実を選ばず任せていれば済むのに、自分の都合で選んでしまって病んでしまうのだ。そしてストレスを悪者にしてしまう。



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