(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成25年8月号

  三浦雄一郎氏のことである。八十歳、世界最高齢でもエベレスト登頂に成功された。本年5月のことだ。
  夢は諦めねば叶う…何歳でも叶えられる、とおっしゃった。不整脈の手術を3回もやってからの登頂だったから、今回は厳しかったと思う。そのようにご自身も言っておられた。
  登頂後、時間をかけて下山しているという情報で、事件が起きていると思った。酸素マスクを外しすぎて脱水症状を起し、歩くのがやっと、となられた。だがヘリコプターを使ってネパールの首都カトマンズに至り、ともかくも無事下山されて記者会見に臨まれた。
  筆者如きが言うのも憚るが、とにかく無事でよかったと思う。と共によくやってくださいましたとも思った。だがそう言いながら、筆者の心はどうしてもすっきりしない。どこか違うと思っていた。決して三浦氏を辱めようと思っているのでもないが、どうも釈然としないのだった。
  氏の成し遂げられた事も言われる事も正しくそして立派であられる。口にすれば三浦氏を非難することになりかねないので、じっと考えていた。誤解ないように断わっておくが以後は、ケチをつけるのではない。その上で少し正直に書いてみる。
 筆者の中の不思議な気持ちを考えるのに、最初に「アレッ」と思った時を思い出そうとした。それはヒマラヤ山頂に大勢の日本人が登頂したテレビ画面を見た時のことだった。「三浦さん一人の登頂じゃなかったのか」と。続いてアイスフォールに梯子をかけて渡る画面が出てきた。「あれっ、梯子をかけてもらってザイルをつけてなのか」と。要するに八十歳でも登頂できたのは、本人の努力と共にスタッフに恵まれたからだったと判った。或いは三浦さんでなくても、スタッフに恵まれれば誰でもヒマラヤ登頂を思い立ったなら実現できたのかもしれないと思った。
  ヒマラヤ登頂最高齢者の記録を三浦さんに破られたネパール人もその時、登頂アタック中だと報道されていたが、そのネパール人も酸素を吸いながら、大人数で、物量作戦を以って登頂していたのだろうか。
  80歳は酸素と大勢で物量作戦でなければ登頂できないのだろうか。
  すると、ずっと以前の日本人初の宇宙飛行士の事を思い出し、それとよく似た気持ちで筆者がいるのだと思えてきた。あれは日本のロケットではなくロシアの宇宙船だったよなあ、あれは宇宙パイロットというより金で買った宇宙旅行者だったよなあ、と。
  同じようにわけのわからぬ優しさを丸一日流し続ける24時間テレビという番組の中で、タレントが挑むマラソンを思い出した。要するにマラソンに挑むのは誰でも良いのだ、スタッフが万全だから、最悪でもそこそこの結果を出せるようになっている。だがそれを見て感激しないのは非国民に見られてしまう…。一種のファッシズムだ。そこで泣いているタレントは好感度を上げる。
  夢というものの考え方が違っているように思えた。マスコミはさすがに正直に三浦さんの登頂をスタッフが良かったからとは言わない。日本登山隊の物量作戦の成果とも言えなかった。そこは推して考えなさいという態度で放送するしかなかったのだろう…。それに対して、私たち情報を受け取る側は、情報に余り疑問に思っていなかったのではなかろうか。それが日本人的な考え方で、日本人の夢と言うものなのかなあと…。
 登山は自己申告制で、嘘で登頂に成功したと言えば、それは認められてきた。誰も行った事のない場所の証明は誰もできないからだ。今回のようにテレビカメラの望遠レンズが優秀で山頂の様子を映し出す事は無かったようだ。
  自己申告だから夢として想定したものに三浦氏は違和感は無かったのだろう。酸素と大人数スタッフと物量作戦によるものでも、それは三浦さんの考え方による夢なのだから。…三浦氏は自らの夢を大いに肯定されていた。それは正しいと思う。三浦氏の夢が無ければ優秀なスタッフも物量も無かった。そのための猛烈な努力にも感服し頭が下がる。だが即物的な夢で私個人はそれに同感できないで戸惑っただけだったのだ。



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