(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成26年4月号

秩父市は2月14日に雪が降りだして除雪車も出動できないほどの雪となった。そこで秩父市は「自衛隊の災害派遣要請」を埼玉県に要請することにした。なのに、「県で行う」と言う理由で断ったという。結局埼玉県が自衛隊に出動要請したのは17日夕だった。埼玉県は秩父市からの「自衛隊の災害派遣要請」を2日間にわたって断っていたことになる。
  埼玉県は雪の降らない土地柄だから判断が甘かったとの言い訳は通用するのか。知事はテレビのクイズ番組に出演していた、とかいうことだった。市町村の自衛隊の災害派遣要請を止めていたのは埼玉県だけでなく静岡県でもだった。更には総理大臣も被害が想定される中、天ぷらを食べに外出していたという。天ぷらを食べようが食べまいが降雪の具合が変わるわけではないが、いずれにしても危機に対する感性が鈍すぎた。
  危機感の脆弱さ、被害を想像する感性の無さは県や国の長だけでなくて、秩父市などの自治体の長にも言えよう。なんで県でなければ自衛隊に災害派遣を要請できないのか。非常時・危急時なのだ。直通電話を自衛隊にかけてもよかったのだ。
  気象の元締めである気象庁は「特別警報」を発令できるが今回は発令しなかった。発令は市町村長との合意に基づいて発令される。だが気象庁が該当する市町村の意見を聞いたと言う報道はない。…気象庁も危機予測ができていなかったことになる。
  なんで戒厳令を布告できないのだろうか。他人を信用しないお国柄だったら当たり前のことだ。
  逆な例で佐久市長はツイッターを利用して大いに危機的な情報を得て、市民に安心するよう情報を流した。政治家は人の命をどう考えているのだろう。国や行政は国民の命を守ってくれると言う信頼があってこそ成り立つ。非常事態に危機への感性が不足で想像力が働かない…その上にお役人様の立場保身が見えた。非常時の法律の定めがないから、それで復旧が遅れても自分の失策にならない…行政はあんな非常時なのに自己保身を優先させて疑問に思っていなかった。総理は危機意識の不足を居直ってやり過ごした。肝心の時に想像力が湧かず、責任も感じない…それでは国が成り立たない。
 1週間が経って雪害が国会で審議されてもこの経験を巨大地震の備えにすべき議論が聞こえてこない。一番大事なのはすべてをさらけ出して協議することだ。そして処分を明確にすることだ。判断間違いの責任を行政は取らなくて良いことになっているが、だから国中が停滞を来す。民間では判断間違いこそ役員更迭の中心理由になっているのに、だ。 
  だが組織的な改善があったとしても感性不足は直せない。今までの巨大災害で大きな被害をまぬがれたのは、行政をアテにしない庶民一人一人の判断した行動によった。神戸震災・中越地震・中越沖地震・東北大震災国の援助を待っていたらもっと多くの人が死んでいた。
  安堵した生活をしていれば感性が鈍くなり、想像力が涌かなくなる。文明社会とは便利さに満ちているから、たくましさに欠ける人を作り出す結果になる。事実、私達は天気予報を信じ法律を信じ行政をアテにしている。だがそれらは平穏な状況だけに限られると言う事を心しておくべきだ。ヒトは予報や法律や周りの助けがアテにならない状況で生きて、本当に生きていると言える。すべての庇護がアテにならない状況こそ最大のストレスである。そのストレスを日常茶飯と捉えるか非日常と捉えるかで逞しさと想像力の大きな差が出る。私達は日常のストレスをしっかりと受け止めているべきなのだ。



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