(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成27年10月号

御嶽山に特別に上山許可をいただいて、2回登拝をし、覚明小屋閉鎖の仕事の手伝いをして来た。噴火による入山規制を行って一年経っている御嶽だから山小屋の閉鎖も当然起こりうるし、図らずも起きてしまって、その手伝いをしてしまった。
  …それにしても地元の役所は不思議な発想をしていると思った。はっきり言っておかしい。上山と言う表現からしておかしい。なぜ入山という言い方では駄目なのか?入山では入山制限という建前が崩れるからなのだろうか…いずれにしても要らぬ管理だと筆者は思う。そんな要らぬ管理に労力を割くより復興に力を注ぐべきだと思っている。
  本来、自己責任であるべき「人の移動」を行政が管理する…江戸時代じゃあるまいに、人の移動は基本的人権の問題だ。その基本的人権を制限しても人の移動を制限すべき背景があってこそ規制が正当となる。今回の場合、御嶽山麓の行政にはその意味が判っていなかったと思う。
  入山制限に伴って山麓には5合目に鉄製ゲートが設置されてしまった。
  噴火口から半径4キロ以内が入山規制を受けたためだ。その制限が緩和された今は、さすがに5合目の鉄製ゲートは開放されていた…だが元々不要なものではなかったか。その元々が不要…が判らなかったから、その代わりに8合目に新たにゲートを設けていた。更には登山強行をする人を監視し取り締まるパトロール隊をなるものを常設していた。そのパトロール隊は入山制限を受けないでいた。違法?入山者取り締まりのパトロールはするが噴火口を覗くことはしない…。なんかおかしい。
  肝心の登山者カードの提出先が不明もしくは不明瞭なのに、だ。8月9・10日で行われた私達の夏登拝においてもその提出先が不明だった。その登山者カードはスマホ等でできる、と9月4日に新聞発表になっていた。スマホ等でできることは素晴らしいが、噴火から約一年もかかって、だった。その間、当座のこととであっても登山者カードの受付ポストの場設置所は明瞭にしてなければならなかったのに、だ。遅くなって申し訳ないと言うコメントが、登山者カードの新聞発表に見えなかった。普段から無関心であるからすぐに対応できなかっただけだ。
  気象庁の入山規制の距離より遠くの距離に行政は入山の規制をしていた。規制対象内には山小屋もあって、一年間放っておきっぱなしなのだ。
  それをして登山者の安全管理と言えるのだろうか…言えるとすれば不思議なことだ。  一連の行政の規制には、行政は人を管理できると言う思いあがりが見え隠れする。そしてその思いあがりは、行政に責任が来なければ良し、と言う事から生まれているように思う。本当に住民の利を代表するなら、もっと小まめな働きがあるべきだし、こまめに働けば行政が責任を負う事が多々出てくるからだ。
  自分達に責任が及ばねば良し…は今回の上山でもあった。9月5日、ヘリコプターが小屋の上空を何回も上空を旋回していた。どうも噴気孔が増えたことが原因のようだった。でも私達のいる小屋には何の連絡もなかった。少なくとも特別上山の許可を出していて、そこに居ることが判っているのに、だ。小屋に居る私達にすれば、非常時を意識し、覚悟して入山している。それが自己責任だと思うが、許可した側として何が起きているのかを知らせる義務はある。端的にいえば、許可した以上は許可した人への責任は生まれるのだ。
  それが許可したという事だ
  行政のやる気の無さへの腹立ちなのだ。人を管理するなら、将来図があらねばならない。将来図とは言うが言いかえれば法律や条例の趣旨だし、理念だ。人の移動による自己責任を監視することなど将来図にはつながらない…行政の役を果たしていない。理念や将来図を持とうとすれば、行政は全国から色々な意見を募り、それがために苦悩せねばならない。考えて作り上げて行く事程苦しいものはないのだ。考え苦しみ続けてこそ行政だし、人のやることだ。



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