熱気と言うものはそんなものなのだろうか。10月のワールドカップラグビーでの日本チームの活躍、その熱気…もう冷めたようだ。マスコミの年末特集で必ず取り上げられるだろうが、勝ったという事と五郎丸選手の忍者もどきの手の組み方がクローズアップされて残るのだろうか。
だとすれば実に残念だと思う。
私達日本人の意識革命が行われる好機だった…と思っていたからだ。
意識革命とは「自分が変われば全てが変わる」…という単純な事だ。これが現代を生きる私達に欠けていると私は思う。大の大人が体を張って生きられない…つまり、精神価値を持って生きていないと言う事だ。
皆さま、頭が良くて、ポイントは判る。だが実践できない、いや実践しないで済まそうとする。だが、実践できないのだから判る事ができない。それを判った事にしてしまう。判った事にしてしまいたい…だからそこで終わってしまって頭でっかちしか残らない。いや頭でっかちを素晴らしいと錯覚してしまう。
そういう人が今年は滝に来たなあと思っている。結局、美味いところだけを食べている自分が見えていない。あるいは見えているが、それを素晴らしい事の根拠にしている…それで生きたつもりなのかと思うと、悲しさを通り越して辛くなる。日本ラグビーの精神の素晴らしさがもっともっと話題になり評価され私達も選手のトレーニング目線を実践して良かった、と思えるはずだったのに。
ラグビー日本チームが4年間やってきた事は「自分が変われば全てが変わる」…という単純な意識革命だった。勝つためにという美味いところ食いを思っているうちは意識革命などできない。ラグビー日本は勝つためにで始まったが、結局4年を通して自己変革をさせられたのだった。ラグビーの練習だったが、結局やるべき事に妥協しない生き方を身につけさせられただけだった(たった4年で身につけたとは思わない。今後もそれができなければすぐに戻るだりうが)。
彼ら選手が身につけようとした事は至ってシンプルだった。
「楽しては結果が出ない、結果が出たとしてもそこに正義はない。正義がないから常に不安でいてしまう。正義を確信するまで苦しむ事」
「好みで行動しても意味が無い。やるべき事だけに集中すべき。やるべき事は辛いに決まっている。その辛さを味わう事が楽しいと言う事」
「やるべき事は積み重なってこそ、自分の内面が変化してゆく。自分の内面が変わってこそ、世界の全てが変わって行く。それが幸せと言うものだし、幸せを感じる事が安心につながって行く」と言う事だった。
現代人はある意味、ラグビー日本から学ぶものを知っているのだ。問題はそこにある。実践をするかどうか、実践し続けられるか、だ。
それが何であれ、実践には苦を伴う事を現代人は予感できている。事実、ラグビー日本の選手も意識変革を起こすまで「苦しかった」と言い、起こした今も「苦しい」と言っている。滝打たれでの教えの通りで「知は痛み」なのだ。楽して物事をクリアする事はできないのがヒトなのだ。苦しい事を普段のありきたりにできて初めて生き切ったと言えるのだ。
だが半面、物事のクリアと無関係に安心して生きて行けるのがヒトでもある。好んで楽を選ぶのは間違いであるのと同じように、好んで苦を選ぶのも間違いなのだ。今という現実を自分が選んだらそこでアウトなのだ。巡り来た事に真正面からぶつかり続けていればそれでヒトは変わってしまうようにできているのだ。真正面からぶつかるとは手抜きも思い過ごしもないと言う事で、ましてや好みとか結果とか利益などを目的にしたらその段階で学びの対象にならなくなるものだ。正々堂々が生きると言う事の最大で最終のテーマだ。
現代人は、逃げずに正々堂々、を忘れかけてはいまいか。逃げずに正々堂々は苦しいが、精神は安心に満ちていられる。大人が自ら実践して安心に満ちて生きて行く、それを子供達が見て行く…それが教育だ。
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