(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成28年4月号

ストレスは進んで食うものだ、と滝打たれ『健魂』では言う。ストレスを食い続けて行くと、不味かった味が、いつの間にかそうでなくなる。それが普段の味と思えるようになってしまうと、まず精神の在りようが変わって行く。そして精神が変わった時こそ、ストレスを食いつくした時と言える。
  あれほど体調に変調をきたすほどイヤだった味・思いが、いつの間にイヤさが減って行き、そしていつか普通に感じるようになる…普通に感じるようになると、体調が変調をきたさなくなってしまう。ストレスをストレスとして感じなくなると、精神が逞しくなり、精神が逞しくなると生理的な健康状態を変えてしまう。
  つまり、ストレス慣れをすると精神が変わり、病む要因だったストレスが消えてしまって、ヒトは健康になる。その時の健康はストレス負けしている時の何倍も丈夫になっている。
  ヒトには迷走神経というものが備わっていて、それが精神の影響を受ける。迷走神経は精神の影響を受けるではなく、精神に支配されている、と言う方が正しかろう。もっともそれはそうで、迷走神経とは言うが、この迷走とは解明できていないという意味なのだ。そして解明できていないとは、つまりそれが原始の存在と言う事である。
  原始とは初めから備わっているもの、と言う意味だ。初めから備わったものとは命と同義である。この備わったものが衰えること…それで命は終焉を迎える。つまり命は病気では終焉しないで、備わった物が衰える事で死ぬようになっているのだ。
  病気はその備わったものが機能して生まれる、状況対応の変化でしかない。つまり命(原始)が活動しているから、環境状況に依って、備わった物が機能して変化が生まれ、その不便な変化を病気と呼んで来たに過ぎないのである。その原始の部分がストレスに苛まれると、ストレスに対応しようとして変化を起こす。それをストレス性疾患とか心因性疾患とか言う。そしてストレスの方を減らしてあるいは無くしてストレス性疾患を治そうとする。だから治らない。これは、学びが不便を受け入れねば修められないのと同じ事なのである。自分が変わらねば物事の解決が出来ないと同じで、病気も自分が変わらねば治らないのだ。だが現実はストレスを遠ざけて治そうとする。つまり自分に変化させないで治そうとする。だから絶対に治らない。
  患うというが実態は全てが好転反応と呼ばれるものだ。好転反応は自分に備わった原始が機能している姿である。だが、およそ好転反応というものに楽な症状がない。いや症状そのものが楽ではないのだ。物事は破壊からしか生まれない。好転反応である病気というものもストレスに感応する自分の破壊である。破壊だから楽な物ではあり得ないのだ。 
 だからストレスを取り込んでしまえば、好転反応は治まる。好転反応が治まった時、その体の生理能力はグレードアップして逞しくなっている。それは実は精神がグレードアップした事の結果なのだ。つまりストレスを取り込むとはストレスに慣れる事と同義なのだ。そしてストレスに慣れる事とは自分が変わるという事と同義なのだ。これがつまりヒトは自分が変わらねば物ごとの解決にならないという事だし、ストレスに慣れる苦痛を受け続けるという事は自分が破壊されるという事なのだ。
  …ストレスに慣れてしまえば、精神が安心の在りかに気づき、精神が逞しさを増すのだ。その結果として、それ迄のストレスが消え去り、生理能力がグレードアップしてしまう…精神のグレードアップが全てで精神の安定こそ逞しさを伴う成長で、これは全ての成長の根源である。
  逆に生理的にだけグレードアップしたところで、すぐにまた生理は元のローレベルに戻る。慢性病の殆どはここに原因がある。生活習慣病とかいうが、その習慣を治せば済む話だ。「自分らしく生きる」ではなく「上手く世渡りする」と考えていたら生活習慣は増えて行くばかりだ。自分が変われば全てが治るだけの事だ




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