(毎月発行の『連絡紙』より)

●平成30年12月号

今年は色々とスポーツ界で体質の問題が露呈した。組織はできた段階から組織だけを活かす力が生まれるものだ。言わば組織は生まれた段階から不正腐敗が始まるものである。それだけ体制に順応したがるもので、組織を社会評価に晒すことは難しいという事になろう。
  色々とあったその中で、女子レスリングと体操協会のパワハラ問題が学ぶという事の本質を一番問うていたと思う。
  体操競技では、パワハラを訴えた宮川選手が暴力反対を言いつつ、コーチとの信頼関係を肯定した。選手の引き抜きに関してパワハラがあった事を不正証明のきっかけにしていた。だがそんな事が問題なのではない。暴力をふるうが信頼していると言いきれることの方が問題である。
  失敗を咎めるのにコーチが一時の感情で暴力を振るう…それは甘えの構造であって、信頼というべきではない。それを選手は信頼と解釈していた。この錯覚を問題にしないのは問題がズレていると思う。
  一時の感情で暴力を振るわれたのだがそれは信頼関係にあるからだ…は果たして正解なのだろうか。指導を仰ぐ事と信頼関係とは、全く違う。何よりもこの選手とコーチの関係は夢を共有している事への共通認識があってこそで、その認識に立ったお互いの甘えである。
  同じことが女子レスリングに関して言えた。女子レスリングを仕切る監督の愛弟子が他のコーチに教えを求めるようになった…監督の焼きもちがパワハラ行動となった。つまり監督の甘え甘さの問題で、それを糾弾せず、パワハラと認定して辞任に追いやった。
  だが本質は辞任とか真相究明とかパワハラという問題ではなかったのだ。それが証拠に女子レスリングはアジア大会で金メダル0に終わった。マスコミは金メダル0をどう考えたのだろうか…一切の所見を発表しなかった。同じようにレスリング協会もあの処分は間違いではなかったか?とは言わなかった。
  誰も気づかなかった事…その数ヶ月前に体操・レスリングの間違いを女子スピードスケートでは証明していた。要するに自分で考えて問い続けてこそ、本物になると言う事…それをしない選手、それをさせないで選手をロボットにしてしまうコーチ、それをして師弟関係というのは間違いであるということだ。
  が師弟関係の多くは、黙って指導者の言うとおりにすれば良いというもので、そうすればたまたま最終勝者になれる事もあるというだけだ。それを信頼関係とは言わないし言えない。選手にすれば最終勝利者という利益提供に食いついてコーチのロボットになるだけで、コーチも自分の指導手腕とか指導理念の証明のために選手というモルモットを使う…。
  日本女子レスリングのトレーニングは半端でない。トレーニングの前に体がよくモツなあと思う事をやっている。理屈の何もないハードな事をやれと言われると、好んでそのようなハードな指示をやって行く。
  だが、自前で考えて経験して至ったトレーニングではない。言われた事に応えるだけを全力でやってきたから、大会で全滅したのだ。自分で考えてやって来たのなら少なくとも全滅は無い。全滅したくない選手が監督の許を去っただけの問題だった。
  何事につけ、自前の行動でないものは脆い。コーチとか監督のやることは何か…選手の問題の整理役でしかない。…選手が行き詰まって、自分で考えて、判らなくてコーチに教えを乞う。コーチは、選手がどうありたいかを整理してやるが教えない。教えたらコーチも選手も負けなのだ。
  その整理を選手は確認して、再び自分で考え、試行して正しさに近づいてゆく…それがコーチだし、コーチが動きやすくするのが監督なのだ。
  今までのコーチと選手の関係の殆どは選手がコーチのロボットになる事である。頑張ってそれで結果が出せたとしても価値が無い。それを師弟関係と呼び信頼関係と言える不思議に気づくべきだ。スキルを身につけるハートを自分の中に養わない限り、ただ結果が出た、で終わるのだ。




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