(毎月発行の『連絡紙』より)

●平成31年3月号

 プロ野球イチローが日米通産安打4000本を達成したのは25年8月下旬だった。「8000回の悔しさがあった。その悔しさと真摯に向き合ってきた」と彼はコメントした。この数字には含蓄がある。4000割る(4000+8000)は打率3割3分3厘を指した数字である。野球は打率2割5分でプロの平均点合格なのだ。イチローが平均点を目標にしていたなら12000回の悔しさがあったといわねばならない。だが彼は8000回の悔しさと言った。
  野球に限らずだが、上手く行かないのは当然のことだ。初めから上手いわけが無い。だが2割5分と3割3分の違い…イチローは初めから基準を高いところにおいて、そのクリアーを目指していた。目標の設定段階からしてレベルは違ったのだ。イチローらしい。
  イチローの偉業達成時に彼の努力の源を「劣等感が強い」と評した大学教授がいた。が、判っていないと思う。劣等感が強い人は大勢いるが皆が皆イチローのように『悔しさと真摯に向き合って』いる訳ではない。劣等感が強い人はむしろやらない理由を列挙して、逃げてしまう。だからなおさら劣等感が強くなってゆく。8000回の悔しさ…という意味は、失敗が人生の基本とだけ言いたかったのだと考えるべきだ。イチローは「失敗と真摯に向き合ってきた事が誇り」と言っている。ここが大事な点なのだ。
  野球に限らずスポーツの大半は相手から嫌な事をされる。プレッシャーをかけられ、弱点を突いてこられる。スポーツマンシップというが正々堂々だけではないのだ。プロレスのように5秒までの反則は反則でないというルールの通り、決められたぎりぎりの嫌な事をしてもルール内であれば正々堂々と言えるのだ。
  野球はピッチャーが有利で、4割を打ったバッターがいない。という事実は、常に6割以上も打者に対してピッチャーが勝っているという意味である。そんな中でイチローは、成功の倍の数の失敗を認め、その悔しさと真摯に向き合って来、それを誇りにしてきた。 見逃してならないのは、彼は自分で考え分析し試行してきたことだ。自分で、こそが一番辛い。けれど絶対に会得できる。会得する方法は唯一自力による反復しかない。だから皆が自分で考え自力で反復すれば良い。それがなぜ出来ないのかと言えば、自力で行う事が辛く苦しいからだ。イチローは会得するまでの苦しさを当たり前にしている。そこが普通の人と違う。この点をかの大学教授は指摘すべきなのだ。その苦しさを私達の多くは不幸といい、ダサいといい、なんで自分だけがと思う。でも生きる当たり前の事なのだ。なのにそこを省略して得ようとする人が多い。そんな虫のよい思いの実現の為に滝打たれに来る人も結構いる。もっとひどくなるとセミナーを受けるだけでヒーラーになれる…それすらを疑問に思わない人すらいる。
  楽して人の先を行って幸せという事はあり得ない。そんな自分こそが社会を乱している、と思わないのは悲しい。そんな人に限って「だってお金を稼がなきゃ」と言うがそれは仕事ではない。虚業だ。虚業で金稼ぎをする事が社会悪だとは思わない…だから金を稼ぎながら人格が下がってゆく。社会貢献できてこそ仕事なのだ。
  心が鍛えられずしてはどんな石も磨きようがない。@学ぶ事が独力によるしかない事A学ぶ苦しさが当たり前な事B学ぶ事が生きると同じ意味であること、この3つは人として生まれた以上判らねばならない。命を使い果たすと言う事はそういうことだ。人に言われてやるのは楽だが成果は無い。それでも自分で考えようとしない人は多い。だがこの3つが判ってこそ人生のプロだ。人生のアマで終わっては申し訳ない。目線の高さの違いは生きる意欲の違いなのだ。




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