(毎月発行の『連絡紙』より)

●令和3年3月号

筆者の正月は、年乞の神事に始まり、各安全祈願の神事を奉仕し、滝打たれ、年祓いで家々を廻り、気がつけば三ケ日は終わっている。よそ様の家を訪ねて行ってお祓いをしているのに、皆様正月をどのようにして過ごされるのか判らない不思議がある。
  だが今年は3日の大雪の為に、家にいなければならなくなった。そのお陰で、正月恒例の「箱根駅伝」を見ることができた。
  意外や意外、それも大意外で、創部4年目の創価大学が初日からのリードを保って、二日目も計10区間の9区まで独走していた。最終区にタスキが渡った時には3分以上の大差がついていた。3分というのは、1km以上の差、という意味で、もはや挽回は不可能と思うのが常識だった。
  だが、最後の最後、その10区に逆転を食って、創価大学は2位に甘んじてしまった。
  創部4年目で総合優勝をしようとしたのだからすごい…だが創価大学アンカーの表情を見て、トップでのゴールインはないと筆者は思った。彼の笑顔が引きつって見えたからだ。
  結果として創価大学はゴールの2キロ手前で2位の駒沢大に抜かれてしまった。筆者の想像していた通りとなった。アンカーの努力不足というより、まだチームが優勝するには早いという事だと思った。
  事実、創価大の監督も総合3位を目指しておられたようだ。創部4年目で、優勝するという事を監督自身も思ってもおられなかったようだ。
  3位になるだけでも大変なトレーニングが必要で、創部からの4年間で3位を目指せるようになっただけでもすごい事だ。だからその凄い事を起こすためのトレーニングに日々終始していたという事だった。
  優勝を目指すにはそれだけの準備を想定した練習をしなければならない、という事だ。優勝するにはあらゆるハンディを想定してそれを部員一人一人がクリアできていなければならないのだった。
  今回の事でチームの走力程度はそこそこ見えただろう。が選手一人一人が自分の弱点をクリアして自信をもっていないと優勝には至らない…。
  自分の弱点をクリアできる言葉を持っていて、それを自分がクリアできたと確信していないと、トップにはなれない。それはトップになるための鍛錬ではなく、個人がやるべき鍛錬のはずで、その鍛錬が身につけば結果としてトップになる事もあるという事なのだが、創価大の監督はそこまで見えておられなかったようだ。
  筆者も経験しているが、突然思いもよらぬ喜ばしい状況になった時、普段の力すら発揮できない場合があって、それは鍛錬不足の結果なのだ。
  筆者の高校一年生の時の事だ。校内駅伝で筆者の属するチームは10位入賞が確実視されていた。1学年で入賞は珍しいと言われていた。いざ本番、トップランナーが3位で来てしまった。トップランナーは陸上部の猛者が大勢走るので、3位は想定していなかった。第二走者は顔を引きつらせたまま走って行った。普段の練習時より2分も遅れて戻ってきた。当然その順位も落ちた。3走も4走もチーム全員が普段のタイムよりはるかに悪かった。筆者も普段の走っているリズムでなかった。なぜか普段のリズムで走れなかった。結果、11位で入賞を逃した…。結局我がチームは1走以外の全員がアガッたのだった。アガる程度の練習しかしていなかったという事だ。もちろん我々は、陸上部の長距離ランナーではないから、アガらないような鍛錬はしていない。だが走る事でなくても普段から自分を見つめる努力はできる、というか、それはやっていなければならない事だったのだ。
  不慮の状況を想定してクリアしようとする…それが練習と言うものだ。さらには何があっても自分のままでいられるように24時間緊張と危機意識を持っていようとする…それが鍛錬というものだ。
  自分の弱点をクリアするという普段の生活と自信…その自信があらねばどれほど余裕の蓄積があっても大きな弱点になってしまう。個々に心の逞しさが無いと、団体競技はなお勝てないな。どんな組織にも会社にも言えることなのだが。


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