(毎月発行の『連絡紙』より)

●令和4年2月号

昨年はコロナと五輪によって心が痛いままに終わった…。五輪に関して言えば、終わったという事しか残らなかった。頑張った選手達には申し訳ないが、選手達から与えられた感銘とか感慨とかが今では見事に薄まってしまっている。今になってみれば女子柔道の頑固さだけが筆者には残っている。
  コロナ禍でよくやり通せたと思う。しかもIOC役員たちが約束やぶりを行ったのにだ。まさに平和の祭典で、平和こそ政治をはるかに超越する価値観である事を感じさせられたが、肝心の重鎮たちがコロナ感染防止策を堂々と破っていた。どんな立派な理念の団体でも、それに匹敵する運営者がいないと最大の価値ですらも腐ってしまうと言う典型例だった。
  あんな立派な競技場や選手村だのは不要だった。全ては景気浮揚策の一環で、わざわざ造らなくても良かった。要はテレビ中継があれば立派な施設は不要…という事を証明しただけだった。
  そういう不思議な国、日本を世界にアピールしてしまった。?つきで決断力のない総理大臣なのに、その分だけ国民を軽く思っていて、国民もそれで不満に思わない国であることを、アピールしてしまった。政治も経済も社会生活も、忖度することを優しさだと錯覚できる人々の住まいする国だった。
  東京五輪2020は誘致からして不透明な事が多かった。旧宮様を代表にして誘致したまでは良いが、買収による誘致決定だとなった時、代表の元宮様を買収の張本人にした。何も知らない宮様をスケープコードにして組織委員会は知らんふりをしてしまった。宮様をスケープコードにしたから悪いのではなく。誰であれそれはあってはならない事だ。
  その誘致の際のコンセプトは「コンパクトな大会」だったが、いざ準備が始まれば、そのコンセプトは全く無視された。大会の目的を都合でどんどん変えていった不思議があった。結局、最後の大会スローガンは何だったのだろう?・思い出せない。そのスローガンも組織委員会が決めるでなく、コロナ感染と結びつけて、総理が勝手に造語?していたようだった。大会の権限者は一体誰だったのか、いまだに明確になっていない。それに対してマスコミも私たち国民も不思議を感じていないのは辛い。
  そうなのだ、国民も数多く忖度をして五輪を迎えていたのだ。私達の多くはコロナ感染防止のために五輪反対の立場でいつつ、でも聖火リレー賛成とか競技場の聖火撮影に行くとか三密でも路上応援をして満足するとか銀ブラしているバッハ会長を見つけて写真撮影をするとか…あり得ない忖度を平気で実行できた。
  聖火だって全国を走って回った訳ではない。車で種火を移動させ、その移動車の後には協賛企業と判る車が記念グッズを山と積んで延々と続く。目的地で種火からトーチに点火して、その地の繁華街で手を振って歩く…そんな到底聖火リレーと言えないものを聖火リレー反対者たちが見に行く。見に行って五輪協賛企業の出す記念グッズを貰って、貰えば帰る…。貰えない人は協賛企業の職員に文句を言って帰っていた…。
  総論反対、でも自分の満足は別…そういう事をやって平気でいられるって一体どういう神経構造なのか…理念を忘れ目先の満足に毒された国、その国民性をさらして恥ずかしくすら思わないようであった。
  選手達の自己課題への真摯なる追求には心打たれた。それがスポーツの魅力であり、私達の学ぶところで、だからスポーツは好まれてきたにのだ。スポーツはルールを守って競うから見る人に感銘感慨を生まれさせる。ルール無視があったら心は動かないようにできているのだ。
  だがそれに反する事を私たちは行って、満足していた。社会ルールだけではなく一番大事な個人の信用というルールが目先の満足を得るために全く忘れられていた。この国民ありてあのような政治家…なのだった。
  私を含めて、満足する事に毒されている生活を見直すべきだ。制度疲弊の国で五輪をやっても…だった。


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