(毎月発行の『連絡紙』より)

●令和4年5月号

 豆腐は中国で発明された様だ。誰が発明したかと言うと、漢の高祖の子孫の「劉安」だという。紀元前100年の頃の話だからこの人で決定ではなく、通説になっている様だ。当然に、疑問も多い。わが国に豆腐がもたらされたのは、鎌倉時代直前の様で、奈良春日神社の「御供物」として名が載っているのが初めてと言われる。だから豆腐発明は中国で間違いないが9世紀頃が正しいようで、少なくとも古くから食べ物ではない様だ。
  豆乳を固める為には天日製塩で生まれるニガリを使うが、これだと食べた時にホロリとした味が残る。現代はニガリではなく硫酸カルシウムを使うらしい。だから豆乳の濃さや豆乳の素である大豆の質によって豆腐の味の多くが決まる様だ。
  いずれにしても豆腐は豆乳の濃さこそ味の決め手であって、豆1升から10丁の豆腐が出来るのが豆腐に対する誠実さ、となる様だ。
  滝打たれの会の土曜夜の滝打たれには食事が伴う。会員が順番で料理当番をする。料理のメニューは当番の自由だが、たびたび出るものに、ガンモドキと油揚げの煮つけがあって、誰もこのメニューに文句を言う人はいない。元より滝打たれの為の食事で贅沢を食べるのではないから、どのメニューだと嫌だ、という意見も存在しないのだが…。それほどに暗黙の好評を得ているのがガンモのと油揚げの煮つけなのである。
  5・6年前になるが、市民団体主催のイベントに筆者はスタッフとして呼ばれた。どうした訳か飲食ブースの責任者になってしまった。責任者になった時、意地悪く思われただろうが「良い物を作っている店以外はブースに呼ばない」という原則を提示した。「出店したかったら、良い物を作れば良い」という意味だった。そうでないとこのイベントのステータスは上がらないと考えた。
  筆者の頭の中には豆腐屋さんとラーメン屋さんと洋食屋さんがあった。
  最終的に豆腐屋さんと洋食屋さんにご参加していただいた。残るラーメン店は跡取りさんと先代との折り合いが悪く、話がまとまらなかった。思えばこの3軒は皆、閉店をしていた。とにかく拘って作っておられた人達だった。懐かしの味ではなく、本気の味の追及の人達と思っていた。
  洋食屋さんにはハンバーグをお願いした。「ハンバーグのソースは年季がいるから、これから作っても間に合うものではない」と断られた。閉店したって悪い味の物を出す訳に行かない…が理由だった。正論であるだろうし、だからこそ出店をお願いしたかったのだ。「味を作ったのは貴方、味わって評価したのは客。客が味の良しあしを決めるから」という暴論で折れて頂いた。
  豆腐屋さんはもっと容易でなかった。奥様に先立たれ、跡を継ごうにも子が無く、そしてご本人も高齢だし、体を壊しておられた。漸く体調が戻りだした時にお願いに上げさせていただいた。「無理だって」と当然の返事だった。何度も通って洋食屋さんと同じ暴論を繰り返して、出店を求めた。「最後の御奉公になります」と漸く応諾をいただいた。  イベント当日、開会時間の10時を待たず、この2軒の前には人だかりがすごかった。イベントのチラシ以外に宣伝をしたわけではなかったのに、開会前から行列とは…参加を求めた側としては、それも当然と言う思いはあったがこれほど、とは…。開会30分で両店とも完売…作るのに時間のかからぬハンバーグは自宅に戻って追加分を作る事になった。
  嬉しかった。予想通りに事が運んだ事に対してではなく、周りに喜ばれる事の素晴らしさが、であった。拘って拘って良い物を作って来られて、それを忘れていない客が居られてだから喜んで買ってくださって…。
 
豆腐屋さんはこのイベントの後、週一日だが店を再開なさった。毎度長蛇の列ができる。萎えかけていた精神がエネルギーに満ちて来た様に見えた。「良い物を真面目に作れば美味しくて喜ばれますね」と筆者。「馬鹿な事を大真面目にやってこそ美味いものが出来るし、大真面目こそ社会貢献だと貴方が私に言われたんですよ」と笑われた。


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