●令和6年4月号 |
3.11から13年目が過ぎた。当日は色々な追悼行事が行われた。だが一番大事な「痛み」の共有・持続が感じられなくなっている様に思った。 痛みの持続が無くなっていると思ったのは、誰あろう東電の幹部たちだった。それは情けない事だった。痛みの所有こそが個人の進化なのに…人は進化せねばならない必然は無いが、何であれ学びが無いと進化どころか変化すらできない。その事を完璧に失念している…それが現代のエリートの姿の様な気がして情けなかった。
『社員の安全を第一に原発運営を…』という表現だった様に思う。それがこの所長の本心だわなあ、と思いつつも、「会社を上げて社員一同の命を原発の安全のために勇気を以て捨てよう」とは言わなかった。その話の暫く後に原発周辺の人々の命の事を言っておられたのは情けなかった。 先ず職員が大事で、原発の周辺に棲む人々の事はずっと後に心配しますよ、という事になる。「だから東電はダメなんだ」と思った。翌朝の県民新聞には佐渡市長が「柏崎原発はダメ」と仰ったとの記事が載っていた。是は当然の思いであろう。
13年前の大地震の時に、所長の吉田氏は命懸けで原発の停止を試みた。そして、結局、原発の放射能に負けて吉田氏は戦死なされた。そういう立派な方がおられたのに、それが匂いすら感じない話だった。会社そのものの在り方に疑問を呈する放送局もなかった。実に情けなかった。 東電さん、何のために働くのですか原発に万が一が起きたら真っ先に命を投げ出すのがその仕事じゃないですか?それが社員の安全第一に表現を変えられるってどうなんですか。『万が一が起きたら、命を張って進む覚悟は常に必要です』となぜ言えなかったのか…。現実は周りの市民と同じように、いやそれ以上に、原発職員は先ず自分の命を守りましょう…って、社会から孤立するばかりだ。東電・原発だから命懸けで働け、というのではない。およそ仕事とはそういう代物なのだ。どんな零細事業でも命を張って、命を削ってこそ仕事なのだ。
どうあれ、原発は緊急時には救いようがない…救いようがないのに原発を作り終わってしまった…それが現実である。それなのに、万が一の時は他の会社の方々と同じく命を大事に…ってどうなんだろう、そんな気遣いができるのは会社の傲慢でしかない。 イギリスの貴族はいざ戦争となると指揮官となって戦場に赴く…そして戦争の前線では「進め」の号令を自ら発し、自らの号令と共に共に真っ先に敵に突っ走って行く。国の為に死ぬ訓練を彼ら貴族の子供たちは、幼少から親と離れて学校で仕込まれてゆく。それだから、彼らはエリートと呼ばれて尊敬を得ている。 是も非もない状況にこそ真っ先に命を懸け死んでゆく…でもそれが仕事であり、それこそが本来の誇りなのだが…東電はどうなのだ?
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