(毎月発行の『連絡紙』より)

●令和6年8月号

昨年の後半はジャニーさんの御乱行の話で明け暮れた。筆者には或いは多くの方々にはどうでも良い話だと思われるが、延々とこの話題を続けた。ジャニーさん個人に限らずだが、スターはまさにゲテモノであって、ゲテモノぶりが強調されれば商品価値が高まり、どうあれ話題の中心で居続けられた。 
  今ここに至っても真犯人が非難されないし、姿を現さない。真犯人とはメディアの人達だ。ジャニー―氏が死んでから煙が立ち出した。ジャニー氏傘下の歌い手踊り手達、あるいはジャニー氏と無関係の人は発言をし出した。知っていたとか被害になったとか、という形でだ。でも死んだら発言が可能になった一番手は。メディアの人達の筈だ。同業のステージの建つものより、一番知っていたはずだった。しかもジャニー氏ご健在の折は、告発文書を逆にもみ消してもいた。
  ドのツラ下げてジャニ―氏が死んでから、あの時はこうでした。と言えるのか…残念ながらそんなメディアを非難するお方も居られない。知っていて黙っていた歌謡界の若者よりタチが悪いと思うのだが、黙ってやり過ごそうとしている。「実は私達もジャニーさんから高額の『袖の下』を貰っていました」と言う事の筈だ。
  金を貰えばどんな記事でも書きますよ…と言えないからだろうが、そんな自分をあさましく思わないのが不思議だ。金を貰って新人売込みの記事を書いていたし、新人を番組で使って人気を煽って来た事をメディア同士でかばい合って言わないのは、なお見苦しくさせている。
  メディアのスポンサー会社もジャニーさんちのスターをCMに使わなくなってしまった。是もセコイ事だ。
 「私らそんな話を今初めて聞きました…」としても、自分達でこの人を使えば見栄えするCMになるという予測でCMビデオを作ったはずなのに、裏話が暴露された途端。CM放送を中止にした。
 「その程度が自社製品の評価ですわ」と言う事になる。「ジャニーさんに関係なくわが社の製品は優れてますよ」とんp出方もならなかったのはその表れだったと言えよう。  我が教会でも、ジャニー傘下のSMAPと言うグループのサイン色紙を厄祓いの後の目玉景品にしようとしたことがあった。幸いマネージャーの関係で1枚なら手に入れられると言う事で手配し、手に入れた。その時に「誰から誰に渡すのか」「他人に見せない様に配慮してほしい」とか訳の分からぬ注文が邪に事務所からついて来た。 
 筆者の様な変人はそれだけで「誰が要るか」とその色紙を破り捨てたい思いになった。それほどお偉いさんのSMAPのどこが偉いのかすら判らないのに、一枚のサインに注文を付ける…そうやって虚飾の世界を高く作って来たのだ。なぜか「要りませんよ、そんなもの」と言う人はおられなかったのだが。このサインを誰が貰ったかすら記憶から消えている。それだけのどうでも良い歌と踊りだったと思っている。
  更に言わせてもらえるのなら、メディアがしらばっくれた儘、事件をやり過ごせるこの国は何なのだろう。三面記事で終わって済ませられるその程度の国で良いと思わない人が少ない事を悲しみ、反省すべきではないのか。制度疲弊を直すなりしなくて、どうしようというのか…。
  この国の制度疲弊は進みすぎている。使命を失念して平気なのは公務員がそうだし、今回の事で言えばジャニー所属のタレントの人気にあやかってCMに使って来た大手の会社も同様だ。皆バレねば良しの仕事なのだ。使命を果たすという目的を思えば、そんなに易しい仕事でも全て苦しいものと言える。
  それをこの国の多くは失念している。制度疲弊の原因であろう。


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