(毎月発行の『連絡紙』より)

●令和7年4月号

 さる三月早々、三陸の大船渡で山火事が起きて1週間、春の雪が降って山火事は治まった。
 当事者ではないのだからアレコレ言っても意味がないのかもしれないが山火事が起きて2日目かで、火災の現場周辺では湿度が2パーセントであったと言っていた。
 その様な低湿度では火事になっても当たり前ではなかろうか…。高温多湿の我が国ではめったに起きない低湿度が引き起こした山火事と言えた。なぜか知らないが、雪が振り出すと同時に湿度2パーセントの言葉は聞こえなくなった。
 どうやったら山火事が消せるか、…関係諸氏たちが知恵を出し合っているうちに、天気が雪となり、1晩雪にたたかれて、山火事は消化に至ったようだ…。7000ヘクタールは燃えた様だった。
 自然の力は大きいと思えばよいのか…だが山火事だもの仕方ないと思って良いのだろうか。勝手に自然災害にしてしまったけれど、それで良かったのだろうか。
 筆者がいつも山火事のニュースで思うのは、何で海の水をヘリコプターで撒かないのか…という事だ。真水ででないと消化できない訳ではないだろうし、水を乗せたヘリコプターが燃えている上空から水を撒く…火事の火が消えるのだろうに。その水はどこで補充するのだろうか…。
 海上でホバリングをして海水を積み込んで、火事の現場の上空でその海水を撒く方が簡単だろうに…と火事に素人の筆者は思う。火事で焼ける木の方がどういう理由で重宝され、樹木が日に巻かれる事を避けねばならないのか…筆者には判らない。
 燃えなければ高い価値の樹木だとしても、火が付いたらそれでおじゃんになる。山を流れる水で消化しようたって、川を堰き止めて消化用水の確保から始めねばならない…その間に多くの手間が費やされ樹木が消えて行く…。
 要するに緊急時と平穏時の違いが不明だったのだ。山火事という緊急時に悠然と構えて消化に当たれるとしたら大したものだ。
 話は飛ぶようだが、我々が滝場を旧村松町の早出川沿いの山林に定めたのは31年前の事だった。地元の長老方に山を案内していただいて、現在の場所に落ち着いたのだが、山中を訪ね歩いている時に1番厳しく言われ注意を喚起させられたのは、吸ったたばこの後始末だった。
 筆者はそれでも高校時代に登山部で親方をしてきたのだから、たばこの火の後始末は言われなくても心得ている事だった。だが地元の爺さんも婆さんもやかましかった…それだけ火の元には神経質であったという事だ。
 以来30余年、村松の山に入る時は神妙になって火を避けている。寧ろ当時に比べて日の用心に気を配っている。
 見回せば、山中で気を配っているのは火だけではない。その土地土地には守るべき仕来りがあって、それは進んで守るべき事柄である。でないと山に住む方々から疎外をされる。
 山火事に話を戻すが今回の大船渡はうまい具合に…というか、みぞれが降ってくらた。うまい具合とは言うが大船渡市の1割が焼けてしまっていた。
 返す返すも残念に思うのは海水を消化用水に使おうとしなかった事だ。焼け残った樹木は果たして使い物になるのだろうか。山火事という状況下で何を判断して消火作業に集中したのか…自然の天気の作用で雨が降っただけで、山火事は鎮火に向かった。
 誠に有難い雨であった。だがその雨を自然現象として待っているのは正解であったのだろうか…筆者にはいまだに不明である。
 この山火事での死傷者が1人で済んだのはありがたい事だとして、もっと手早く鎮火の方策を取れなかったものか…。原理原則に則った自然現象としての雨が降る迄待つだけに見えた消化活動…辛い事だった。



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