(毎月発行の『連絡紙』より)

●令和8年3月号
 昨年もコメの刈り入れは一斉で行われ、あっという間に終わった。耕作面積は変わらないのに、一斉に始めて一斉に終わってしまうのは刈り取り機械が進化している故だ。刈り取り機械にかかわらず農業機械は大きく進化した、そのおかげである。
 どの様な品種を植えるかなのだろうが、越後の田は9月を過ぎると。いや8月の末から稲刈りが始まって、始まってしまえばあっという間に田んぼは刈り取られ、裸になってゆく。裸の田んぼで冬を迎え、やがって一面に白い世界へと変わって行く…。
 米に限らずだが、ヒトの食する物は全て自然物である。石油を食品に替える訳には行かない様だ。
 ヒトは食べ物だけでなく、森林など全てを他の自然物を利用して生きているのである。
 自然物の利用…それは自然物だはなくなっている…。ヒトは太古から周りの自然物を利用して生き続けて来た。自然界の産物だけではなく、あらゆるものを利用して加工して衣食住を満たしてきた。そして今や公害を生み、そしてその公害は公害という次元から自然破壊と言う状況になってきている様だ。
 我らの御嶽もそうで、信仰の山とは言うが、自然破壊は著しくなっている。そうやっているうちにやがて地球は怒り出す。それは予測できる。
 怒った時には色々な事が伴って行って、恐らくは地球は一瞬の間に死に絶えてしまうなかもしれない。
 ヒト社会だけが死に絶えるのではなく、生物全てがなくなるのであろう、ということは想像がつく。
 公害問題、自然破壊問題は先進国が起こした自然物への生産依存の問題だ。だが、いわゆる後進国が生産に本格的に目覚めたとき、公害や自然破壊は先進国だけの問題ではなくなる。すでにそうなっているようだ。
 後進国は先進国のまねをしてはならない…と言う事は出来る。だが、便利で美味しくて加工が安易で…と言う社会を作ってはならない…と先進国は言えまい。言うかもしれないが、それを止めろとか少量に、とまで言えまい。先進国だけが甘い汁を吸ってきて、後発の国々にそれは罷りならんとは言ってみようがない。
 そのようにして、人というサルが地球に寄生して、生き続けて、生き続けて来て人間になったといえるのではないか…。
 いくら使っても減らない物など存在していないのに、先進諸国は膨大の資源の取り合いで戦争をおこしてきた…その様なヒトとサルの生活はどうなるのか。どうしたら資源の奪い合いの戦争を止めることができるのか。
 何より後進諸国に生産性を自然破壊によって上げるなと言えるのか…自分たちの先進諸国だけが地球を壊して、後進国に何もするなといったとて、それを尊守できるわけがない。
 どんな国の人々も食べて暮らしてゆかねばならないのだ。そして食べるものは石油産物ではなく、自然産物なのだ。
 どの程度、ヒトと他の動植物の数の制限をして行くのか、行けるのか、…自滅を含め全く空想にしかならない…それがヒト猿のげんじつなのである。食料不足はわが国でこそ感じ方がすくなくなっているだけなのである。
 ヒトはそれぞれ数千年前の生活に戻れるのか…原人生活できても食物自体がないことが想像できるのだ。経済は生活のペースに伴うからだ。
 貧しい生活に戻したところで、ヒトサルはそんな生活に甘んじてはいない…となるだろう。そういう点では自然破壊という意識が欠けていたようだ。だから、少なくとも先進諸国には不可能だろう。
 その為に戦争が起きて行く事になるのだろうか…その戦争も地球の生産力に寄与するものではなく、むしろ生産行為を停滞させ、地球を滅亡させる…ことになるのだろう。
 現状は地球全体で同一の生産力という事があり得なくなっている…。偏った生産物を地球全体で分けてゆく…そうなるしかあるまい。ならば資源の共有が協議され実行するしかなくなる。先進国はそんな資源をどう労わってゆくのだろう?



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