|
令和8年も8月に入った。お盆の準備に気を取られ始めている方もおありの様だ。
お盆は本来が神道の行事の範囲なのだが、神仏混淆の時期を通りこしたせいか、今やお寺様の中心行事になっているようだ。
それはさておき、8月には教会の最大行事の一つである「御嶽登拝」が行われる。今年は8月8・9日の一泊二日の予定である。
早いもので今年で54回目の夏登拝である。御嶽登拝は夏しか出来ない。標高3000メートルを越し、しかも独立峰である。最初はもっと奥の大滝村から登った。冬登山の人も居られようが、完全装備でないと登れない山なのだ。
山麓には知己もなく、当然に登拝の知識もなかったので、わざわざ三岳村を通り越して一番奥の王滝村の5合目まで行ったのだった。
王滝登拝をしなくなったのは、三岳村からのルートがある事を知ってからだっ。10年間は王滝村からの登拝だった。
理屈を言えば、大滝ルートも三岳ルートも別々な土地を5合目は八海山、7合目は三笠山…と同じ名前で呼んでいたからでもあった。簡潔に王滝の八海山、三岳の八海山と呼ぶべきなのだったが、どうした訳か、呼び方の上に王滝・三岳を付けて呼ぶことがなかったからだ。
自発的に疑問におもわなかたら、聞いて登拝の資料にすれこともなかった…。
平成の大合併で、山奥の側の王滝村は合併せずに残った。王滝村が進んで合併いたかったのかは判らないが、王滝村と三岳村の両村はあまり仲が良くなかったようだ。
十回の登拝を経て黒沢の登拝に切り替えた。不都合だったからだ。教祖瀧幸霊神が修行されたのは御嶽の神霊場だったのは正解なのだが、一つの山で二か所に渡っていることを知ったのは十回登拝の頃だった。
王滝登拝を止める為…と言うわけではなかったが、その時は王滝の七合目の田の原から登って、剣が峰をまたいで、御嶽の三岳村に向けて下った。つまり、御嶽の登拝路を登り、新しい登拝路をくだったのである。
誰も教えてくれなかった…とは言えなかったし、言っても意味がなかった…気づけない筆者の大失策と言えた。
ともあれ事故な無く登れていた。王滝口から登れていたことは有難い事だった。日本有数の面積を持つこの山の登拝路を歩き切るのは半分嬉しい事でもあったのだ。
そしてその後、三岳からの登拝に切り替わって王滝からの登拝は無くなった。こうして御嶽の登拝路二つを歩いてみると、それまでの王滝口からの登拝の方が優しいいように感じている。だが三岳から王滝までの所要バス時間が2時間くらい違うのである。山中を登拝する時間はそう大差がないのだが、三岳村からの登拝の方が、王滝村よりずっと早く剣が峰の最高地に至れるのであった。
バス路線の整備が早く行われた三岳の方がどうしても早いのであった。バス路線の幅や傷みは、路が新しく開けたためにか、王滝口の方が勝ると言えよう。
不思議なもので新しい道路だから、バスが走りやすいのである。だから例えばだが我々がお世話になる三岳村の7合までの景観は、王滝の景観に負けてしまうようだ。バスの終点である7合目までの高原風景は王滝ルートが断然リードしている。両者を比べたら、王滝の方が素晴らしい。御嶽の高原を十分に満喫させられて7合目の田の原にいたるのである。
それにしても、三岳村のバスルートは古いし、道路の工事方法も大分旧式だったように思う。集落を抜ける王滝側は簡単だが、三岳の側は結構容易でない様だ。
三岳村と王滝村…は町村合併で木曾福島町に編入されているが、道路開削が古い分だけ、交通の安全性は三岳村の道路にかなわない。いずれにしても大事な生活道路なのだ。
|