滝打たれは修行の中でも、荒行と言われます。では荒行とはどういった事を言うのでしょうか?。いたずらに難儀をする事を指しません。唯々諾々として自分で決めないこと、継続すること、そして一番大切な事は集中することです。人は加えられる外からの刺激に対して跳ね返そうとする力を持っています。それが反発力で生命力に基づきます。だから難儀に対しては、ある種誰でも持っている力で克服できるものなのです。だからいたずらに苦しいことを求めたり難儀を求めたりしても修行とはいい難いと考えています。
問題は小さな刺激に対してどこまで集中できるか、それが一番の苦難なので、だからこそ滝打たれで自己破壊ができるのです。自己破壊ができて真実の自分と出くわし、自分を受け入れてゆき、哲学が形作られてしまう…。修行の到達点は哲学であらねばなりません。見た目の派手さより実際の集中こそが実は難しいのです。健魂の滝打たれは優しく見えますが、それは集中のみを目標としているからです。でも、やさしいから容易いとは言えません。否応なしに集中してゆく積み重ねで自分を開放し哲学を形作る、それが健魂の滝打たれなのです。
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